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映画

Osaki Midori Forum in Tottori

 

◆映画『第七官界彷徨―尾崎翠を探して』に寄せて◆

角秋 勝治

―鳥取ロケ裏話―

映画『第七官界彷徨―尾崎翠を探して』のラストシーンの撮影

「尾崎翠って誰だ?」

 映画『尾崎翠を探して―第七官界彷徨』のロケに協力してもらうため、翠の出身地である鳥取県岩美郡や鳥取市を駆け回っていた時、必ず言われたのはこの質問であった。メジャーな文豪ならいざ知らず、特異な感覚世界を追求した翠であれば仕方ないことかもしれぬ。浜野佐知監督は「第七官界と言ってもね、第七艦隊と言う戦争映画と間違えられるのよ」と苦笑する始末。ともあれ、文学界でも長らく忘れ去られ、地元はもちろん親族でさえ彼女が作家だったことを知らなかったという徹底した韜晦ぶりは、人間の第六感をも超えようとした翠文学の本質と生き方を象徴しているように思われる。

 地元でも翠の小説を読んでいる人は稀で、彼女の存在そのものが認知されていない。だからカンパや応援を受けるには、まずその真価を語る必要がある。だが昭和初期に、ドイツ表現主義の影響を受けたと言われる詩的な前衛文学は、要約して解説しきれるものではない。しかも不況で冷えた世相の反応は鈍く、ロケ支援のボランティアもそんな経験はない市民ばかり。実は1979年に私は、かなりのスペースを割き地元紙で翠を取り上げたことがあるが反響は皆無。市民や行政の無関心に加え、特に翠のイリュージョンを映像で具象化することは至難の業だ。おまけに映画化への非難中傷まで流れてきた。そこで当初は無関係だった私も、やがて参画せざるを得なくなってしまったのである。

 困難な自主制作の映画を実現したのは、なんといっても浜野監督自身の情熱と、翠の古里岩美郡岩井温泉などの地元民、そして各地の女性を中心としたボランティアの力である。もちろん不慣れゆえに、組織体制や連絡などの不備はあった。その落し穴に気付いたのは、浜野監督・俳優の原田大二郎さん・柳愛里さんらに同行して鳥取県庁で記者会見をした後である。ロケが20日後に迫っているというのに、肝心の岩美町や関係機関への根回しがまだ。準備しなければならぬ重機・車・小道具・宿泊・炊き出しなどの具体的な打ち合わせもできていない。

 驚いた私たちは岩美に走り、出張帰りの町長を待ち構えて事情を説明した。私は1970年代から30年近く山陰で行われるロケに関わってきたが、大手映画会社の下準備でも生半可なものではない。いわんや自主制作は―。最初は夢見心地だった地元民も、全貌がわかるにつれて憤った。「そんな事までする必要があるのか」「この話をもってきたのはいったい誰だ」。岩美での協議は連日深夜1時から2時まで。私はこの騒ぎによって、1998年5月10日から20日間にわたって行われたロケにのめり込んでいったのである。

 リアス式の美しい国立公園・山陰海岸に近く、新鮮な魚介類と温泉に恵まれた岩美の人々は素朴で純情だ。波乱のすえ町長や町民が覚悟を決めると、岩井温泉公民館の合宿所を拠点に、早朝から深夜まで物心両面にわたる協力が始まった。ロケに終日密着して便宜を図る職員、機械など無償貸与の町会議員、旅館業を放り出しカンパ集めに奔走する女将、炊き出しから交通整理まで手がけた自治会や主婦たち。鳥取県中部の倉吉では支援のチャリティー展が開かれ、西部など各地から駆け参じたボランティアも多い。私は蔵書から小道具になる書籍訳300冊を選んで運び、脚本の一部は鳥取弁に直してテープに吹き込み俳優に送った。

 スタッフは監督・浜野佐知、脚本・山崎邦紀、撮影・田中譲二、美術・星埜恵子と奥津徹夫、照明・上妻敏厚、音楽・吉岡しげ美。俳優は白石加代子、吉行和子、白川和子、原田大二郎、宮下順子、横山通代、石川真希ら。ロケ地は鳥取県内の岩美郡・鳥取市・倉吉市をはじめ、隣接する兵庫県の居組・京都の加悦町に及ぶ。

映画撮影風景。右が浜野監督、左が白石加代子

 スタッフはあらかじめロケハンティングをするが、自主制作の厳しさで必ずしも万全ではない。急遽予定変更したり、撮影の合間に家捜しをして上がり込んだり、ハプニングで遅れてしまうこともある。ある家では間借りの青年が寝込んでいる早朝から撮影が始まり、なにも知らない当人が起きてきてびっくり。病院では昼間の予定が深夜までずれ込み、医師たちがはらはら。窓を強烈なライトで照らして太陽光線に見立てたが、映画は平気で夜を昼に、晴天を雨天にも変えてしまうのである。また時代がかった家屋に押し入ったり、あわてた家主が掃除をしたり、せっかく準備をして待ち構えているのにキャンセルしたり。ひなびた温泉場を巻き込んだ、まるでゲリラ撮影である。

 ロケが最も難航したのは、昭和初期に翠と恋人が駅のプラットホームで別れる場面だ。郊外の駅を見たが往時の面影はどこにもなく、やっと探し当てたのが京都の人里離れた加悦(かや)SL広場だった。エキストラ30人は遠足気分でバスに乗り、意気揚々と昼過ぎに岩美を出発。ところが平日だったので若い働き手は出勤し、集まったエキストラは70−80歳にもなるお年寄りばかり。貴重な20−30歳は、そんなこともあろうかと私が頼んだ友人たち7人だった。

 丸太の電柱を立て配線するなど、SL広場の駅作りは手間取った。夕方8時にようやく撮影開始。だが俳優とエキストラの流れがうまく交錯せず、本番OKが出たのは4時間後の午前零時過ぎ。次に車内を撮るともう夜明け前だ。徹夜の時間延長で間食をしようにも、山のど真ん中では1軒の店もない。高齢者たちは2日がかりの撮影を握り飯とカップラーメンでしのぎ、朦朧と岩美に帰るとすっかり朝になっていた。しかし驚くのはまだ早い。仮眠をしたロケ隊は休む間もなく、午後には撮影を開始したのである。

 スタッフはみんな元気な若手だが、連日連夜の強行軍にさすが疲労も溜まってくる。ただ1人元気なのが浜野監督で、合宿所を毎朝一巡しながら「起きろ!」と号令。スタッフからは「人殺し!」と抗議の悲鳴。一人平然としていたのは脚本の山崎ライターで、なにかとトラブル度に「また始まった」と達観している。スタッフ自ら映画に登場してもよさそうな、それぞれがユニークなキャラクターの持ち主。

 岩美の地元民やボランティアたちは、精力的で激しい撮影を目撃して度肝を抜かれながら、多方面にわたる献身的な協力を惜しまなかった。ここにあるのは製作者と鑑賞者が結束した徹底的な手作り、CG頼りの画面とは異なるホットな映画の原点であった。