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映画

Osaki Midori Forum in Tottori

 

◆映画「第七官界彷徨−尾崎翠を探して◆

角秋 勝治  

−綾なす虚と実−

尾崎翠(白石加代子)=右から2人目=と高橋丈雄(原田大二郎)=右から3人目=の別れのシーンの撮影風景

 

 「この映画はなんだ?」

 1998年秋、尾崎翠の出身地・鳥取で上映された先行試写会を見た人たちの感想はこのような戸惑いであった。ロケ撮影に協力したボランティアや一般市民は、瑞々しく活写された山陰風景に感動しながらも、目まぐるしく輻輳する場面転換について行けなかったのであろう。凛としたタイトルは鳥取の書家・柴山抱海である。
 映画はオーソドックスな時間の流れや起承転結を無視して、現在から過去、死から生へと自在に往還する。冒頭は性の越境者たちが集うパーティー会場。一角にあるテレビ・モニターで不思議な映像が始まり、それに気付いた若者たちが見ていると、翠の人生が晩年の鳥取時代から作家活動をしていた東京時代へと遡りながら映される。モニターにはさらに翠の代表作「第七官界彷徨」が断続的に挿入され錯綜したストーリーが進行する。
 つまり映画は翠の人生と文学と、それを尋ねる現代の若者という三本の縒り糸で構成しながら、時空間を超えた映像の魔術によって彼女を甦らせていく。平叙法ではなく、ちょっと欲張った内容と複雑な倒置法もすべて翠復活のため。いま、まさに再評価されつつある翠へのオマージュなのだ。難解と思われる展開もまずこれらのリズムに乗れば、綾なす小説の「虚」と作家の「実」によって、性差を超えた現代の視点で謎めいた翠ワールドが享受できよう。山崎邦紀の脚本が曲者だ。

 鳥取県岩美町出身の尾崎翠(1896−1971)は、20世紀初頭のドイツ表現主義の影響を受け、自然主義を唾棄すべきものとして東京で先鋭的な文学活動を始める。強烈な主観で端的に感情心理や内部生命を訴求する表現主義は、美術・文学・音楽・演劇・映画など、あらゆる領域に浸透。世界の主潮になるかと思われた運動を「退廃芸術」と決め付け、迫害したのがほかならぬドイツ・ナチズムのヒトラーである。尾崎文学にも、色彩・映像・音楽などの感覚的な要素があり、異質なもの同士の衝突で生まれるコラージュのような斬新な効果や、コケの恋情など現代の植物学を先取りしたようなエコロジー観がある。しかし翠は頭痛薬の中毒にかかり、恋人と別れて帰郷後は再びペンを執ることはなく、妹たち家族と厳しい戦後を質素にたくましく生きのびたのであった。
 小説「第七官界彷徨」は詩人を夢見る町子が、共同生活をしている従兄弟たちの家事手伝いのため上京するところから始まる.町子は「私はひとつ、人間の第七官にひびくやうな詩を書いてやりませう」という感覚少女だ。従兄弟たちもコケを実験栽培したり、コミック・オペラを作曲したりで、純粋さゆえややクレイジーな彼らの論争は絶え間がない。ところが「恋愛」に成功するのは栽培されたコケだけで、人間はすべて片思いや失恋ばかり。なんとも奇妙だが愛の本質を突いているのが「第七官」の世界なのだ。

 鳥取で再会した尾崎翠(白石加代子)=左=と松下文子(吉行和子)=右=

 キャストは個性豊かな芸達者ぞろい。華やかな前衛作家から平凡な一生活者へ、人生をばっさり二分して生きた翠を歯切れよく演じた白石加代子の圧倒的な存在感。妹役・白川和子は家族愛もさることながら、かつてない鳥取弁の巧さに脱帽だ。吉行和子の温容な友情。恋人役・原田大二郎や女性作家たちは寸描で小気味よく浮き彫りされる。「第七官界彷徨」の場面では、なんと言ってももう一人のヒロイン町子役を柳愛里が初々しく好演。彼女を取り巻く宝井誠明ら従兄弟たちの人間模様はユーモラスで、ペーソスにまみれ、不器用に揺れ動く青春を微妙にしかも鮮明に演じている。

 映画を彩るのはすれ違うさまざまな恋のカタチだ。小説の中でコケと人間が感応し会う植物的恋愛と、翠の人生の分水嶺ともなった激しい愛の終焉。水面下の淡い憧れも、噴出する絶望的な情念も、懊悩の本質に変わりはないが、その傷の深さと曳航を描いた意味で、これはユニークでエキセントリックでありながら、日本人にあった古風な郷愁をも併せ持つ珠玉の青春映画となり得たのである。
 複雑な構成を鮮やかに整理した人物造形、東京のモダニズムと鳥取のローカリテイー、翠を取り巻き強烈に自己主張する女流作家と「第七官」を呼吸する秘めやかな町子たちとの対比もおもしろい。映像化が困難と思われていた感覚世界が、実は最も魅力的なシークエンスとなっている。幻想的なコケの恋情、滑稽で切ない不協和音のコミック・オペラ、人糞と分裂心理の大真面目な論争、町子がのぞく井戸から開ける大空の描写など、感覚の飛翔と反転が見事に決まって印象的だ。陰影深い映像、音楽も忘れられない。
 恋人と駅で別れる翠の表情は、断筆に至る愛の業の深さを刻印している。惜別の粘りつくような眼差しから、断念して能面と化す心理まで。白石の凄艶なシークエンスこそ、翠の人生を真っ二つに分断し「幻の作家」と言われるようになるカギを握っているのだ。
 愛が欠落した時、翠の中からひとつの大きな感情が失われた。その空洞を抱えて執筆できるほど彼女は器用ではなく、文学もそこまで観念的なものではなかった.華やかな文学を捨てた後は死を選ぶか、もしくは敢然と筆を断ち実生活をたくましく歩むしかない。前衛文学の旗手として脚光を浴びた翠が決断するには、人知れぬ苦悩があったに違いないが、断筆は絶望を体験した果ての確固たる意志であり、自らの作品を信ずるがゆえの峻拒、あるいは矜持を守るゆえの「黄金の沈黙」だったのである。 尾崎文学がそうであるように、映画も無数の隠し味によって安易な定説を寄生させない。初めて見る人には未知の刺激を、再び見る人には新たな発見をもたらし、自然との共生やジェンダーなど現代に通底するテーマも誘発されよう。時代を先取りした翠に、時代がようやく追いついてきたのだ。映画は国内をはじめ欧米・エジプト・韓国など各国で上映され、大きく成長して帰ってきた。浜野監督は女性文化賞を受賞した。
 20世紀の悪霊ナチズムによって中断された表現主義は、多彩なバリエ-ションによって戦後復活した。翠もまた21世紀へと羽ばたき、確実に受け継がれて行くだろう。尾崎文学の研究と批評はまだ緒についたばかりであるが、この映画がその文学と人生を探ろうとする多くの人々を振り向かせ、再評価への後押しになったのは言うまでもない。気概や志という言葉が死語になりつつある現在、これは自主制作の厳しい条件を市民とともに乗り越えて、自己実現を果たした「志の映画」なのである。