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今年のフォーラム

Osaki Midori Forum in Tottori

           
          津原泰水さんの講演抄録

   

   琉璃玉から第七官界へ

                作家 津 原 泰 水

 はじめまして。初めてこちら岩美町にまいりまして、お世辞
抜きで(笑) 素晴らしい所で堪能させていただいております。
 私は小説を書くことが仕事でございまして、しゃべるプロで
もありませんし、ましてや研究者でもございませんので、お聞
き苦しい点が多々あろうかと思いますけれども、しばらくお付
合いをいただけたらと思います。

 尾崎版のあらすじ 

 尾崎翠の作品に 『琉璃玉の耳輪』という映画の脚本がありま
す。ほんとうは脚本の手前の草案のようなものです。
 あらすじの方に行きましょう。  きっとお読みになっていない方
が多いと思うんです。雰囲気だけでも先に味わっていただきたい
と思います。『琉璃玉の耳輪』というのはある種、 難しげの文学
であると目されがちな尾崎翠にして、非常に娯楽色の強い作品で
す。大体大がかりです。その雰囲気をお伝えするべく、 あらすじ
を書きましたので、補足しながら読んでみましょう。

 女探偵岡田明子にもとに、黒いベールで顔を被った謎の貴婦
人が現れ、黄 という支那人の三人の娘、 瑶子、瑛子、 e子を
探してほしいと依頼する。目印は、三人とも琉璃玉の入った白金
の耳輪を付けていること。

 耳輪というと何か物騒な感じがしますけれど、イアリングのこ
とですから安心してください 。 ただクリップ式ではなくて、 ピア
ス留めであろうと想像はしています。

 明子は得意の変装を駆使しつつ、噂話の記憶から、あるいは偶
然の目撃から、一年をかけて三姉妹の足跡を辿る。

 変装では「明夫」さんになったりします。男装が得意です。

 中の瑛子は、髪を金髪にし西洋人のふりををして、阿片窟の売
笑婦と化していた。

 売笑婦とは売春婦のことです。  高級な感じの売春婦と化してい
ました。阿片窟の場所は横浜の南京町、当時は最先端の町でもあ
りましたし、 悪場所といいますか、 いかがわしい場所でもあった。
当時といってしまってから、 何年の作品か思い出しました。 一九
二七年、昭和にして二年でございます。
 こういった場所にある意味、 内向的な作家と思われがちな尾崎
翠さんが非常に興味を抱いて、 このテーマの舞台にしていること
を私は興味深く感じます。

 下の秀子は、 もともと使用人だった山崎という変態性慾の男に
囲われ、男装で生活していた。

 ムチャクチャですけど 「変態性慾」 は、 僕が使いたくて使った
言葉ではなくて、尾崎さんがいっぱい使われているんで…。例え
ば 『第七官界彷徨』 で 「分裂心理」 というキーワードが出てきま
すけれど、初期の大きな作品に通底する言葉です。性慾は性欲で
すが、 変態というのは今使っているような意味ではなくて 風変わ
りなこと、根本的にちょっと違うんではないかと思います。
 この山崎という変態性慾の男はある種、 おいしいキャラクター
でして、非常に長い幻想シーンが描かれているんですけど、それ
はどうも ドイツ映画の表現主義の影響を 強く受けているように思
われてなりません。 この最も有名な映画は 「カリガリ博士」 です
が、 カリガリ博士のキャラと同じというか、 のちのヒッチコックな
んかにも非常に強い影響を与えたものです。無声映画ですが、D
VD などで安く手に入ると思いますので、 ぜひ 一度ご覧になって
ください。 この映像版で 変態性慾の男 というキャラクターを出す
ことによって、 尾崎さんは描こうとしているのがはっきりと分かりま
す。

 そして上の瑶子は、山崎の妻によって見世物一座に売られ、逃
げ出し、今は掏摸の一味に加わっていた。

   非常に数奇な三姉妹なわけです。それは見つけ出すことができ
るんですけど…。

 明子は次第にことの全貌を悟る。依頼者のベールの貴婦人は三
姉妹の母であり、今は櫻小路伯爵の後妻におさまっている。そして
娘たちを捨てた過去を深く悔やんでいる。 また櫻小路家の嫡男は、
かつて明子が恋していた人物だった。

 また、人物関係が複雑になってきましたけども、ざっくりと捉えてく
ださい。

 約束の日、 明子はみごと三姉妹を伯爵家に引き合わせる。 しか
し瑶子と瑛子はもとの世界へと帰っていく。末のe子だけが伯爵家
に残り、嫡男公博と 結ばれることを望む。
 探偵としての職務を立派に果たした明子だったが、 その恋心が
報われるこ とはなかった……

 まあ、そういう話です。
 こういう時代に尾崎さんが原稿用紙にして何十枚か、 百枚くら
い、 中篇程度なんですけども、 ひと月かからずに書いています。
募集から〆切までひと月足らず、これにちゃんと応募したわけで
すから、構想して書いております。

『南総里見八犬伝』が下敷きに

 私が発表これからしようと思っていることは、『 琉璃玉の耳輪』 
という作品はおそらく 『 南総里見八犬伝』  を下敷きにしたもの
であるということです。  いくつか傍証がございます。 それをこれ
から追っていきたいと思います。
 『南総里見八犬伝』はさすがに有名な古典なので、あらすじは
ご存知かと思います。もうすでにあらかたお気付きの方もいらっ
しゃるかもしれませんね。  ひとことでいいますと、「 たま 」 をめ
ぐる話です。でもそれ以上の共通性というのはたくさんあるんで
す。

 『南総里見八犬伝』は、曲亭馬琴が文化十一年から二十八年が
かりで完結させた、全九十八刊、百六冊の大作です。登場する大
名里見義実と彼に寄り添うこととなる八犬士のモデルは、 江戸時
代初期に実在した里見忠義およびその側近の「八賢士」 だとする
説があります。里見家は南総ですから安房の国、現在の千葉県の
物語なんですけど、 そこから実は鳥取県に流されています。 そし
て忠義の墓は倉吉にあります。 すなわち鳥取県民にとって、 非常
になじみ深い、 縁の深い物語であるといえるんですね。 ましてや
少女時代の尾崎翠さんが 仏教小説をよく読まれていた ということ
もありますし、 お寺の生まれで秀才だったことで 古典に通じてい
たことは間違いありませんから、 八犬伝を調べることは あり得る
ことです。 倉吉にモデルの忠義の墓があることも、 非常に愛着を
持たれていた可能性が高いです。
 もうひとつ、大きな傍証があります。それは 『南総里見八犬伝』
の映画化についてですが、戦前から頻繁に映画化されていました。
大正元年 (一九一一年)から昭和六年(一九三一年)にかけて八
本も。 尾崎翠の映画好きというのは大変有名ですから、それを含
めてご覧になっている可能性は非常に高いです。
  物語の序盤に、玉梓という悪女が首を斬られる前の呪詛がなかな
か痛快といいますか…。

 「怨しきかな金腕(かなまり)八郎、赦んといふ主命を、 拒て吾
儕(わなみ)を斬るならば、汝も又遠からず、刃の錆となるのみな
らず、その家ながく断絶せん。又吉実もいふがひなし、赦せとい
ひし、舌も得引ず、孝吉に説破られて、人の命を弄ぶ。聞しには
似ぬ愚将なり。殺さば殺せ。児孫(うまご)まで、 畜生道に導きて、
この世からなる煩悩の、犬となさん」
 
 といって殺されるんですね。怖いですね。 その怨みが八房とい
う犬に取り付いて、伏姫をその血で妊らせてしまう。 それを恥だ
というんで伏姫は自ら命を絶ちます。伏姫の数珠は百八つござい
まして、そのうちの八つが全国に飛散して、 全国といっても関東
地方なんですが、それを八郎の息子の大輔が探す話でございま
す。

共通する人物の対応

 必ずしも一対一の対応ではありませんが、偶然とは見做しにく
い人物配置の重なりが『南総里見八犬伝』と『琉璃玉の耳輪』に
は見られるんですよ、特徴が。

・櫻小路公博伯爵と、里見義実
 ―好人物だが、しばしば判断を誤る「愚将」である。
・伯爵夫人茘枝と、伏姫神
 ―すべての発端であり、同時に万能の存在として物語を支配する。
・探偵岡田明子と、、大坊
 ―「たま」を持つ人物を探す使命を負う。伯爵(里見家)への恋
心を秘める。
・使用人だった山崎と峯の夫妻と、大塚蟇六・亀篠の夫妻
 ―姉妹(犬士)を引き取り、虐待する。
・人格が変わってからの山崎と、悪女船虫
 ―姉妹(犬士)たちの行く先々で、その行動を阻む。
・瑶子と、犬坂毛野および犬江親兵衛
 ―曲芸を身に付けている点。同性愛の人である点。
 ―いったん神隠しに遭い、それが茘枝(伏姫神)の仕業である点。
・瑛子と、犬川荘助および犬山道節
 ―妹(信乃にあたる)をサポートする存在。
 ―登場時、いかがわしい稼業で人々を欺いている。
・e子と、犬塚信乃
 ―登場時、男装(女装)させられている。継子虐めに遭っている。

 こういったさまざまな共通項から、八犬伝の現代版をやれば面白
いではないかと着想して、 これなら応募できると尾崎さんは当時の
阪妻プロダクションに応募した。 〆切時間が非常に短かったという
のも、私は納得いたしました。 これはなかなか気付かないです。非
常に高度なパロディだから、 私『琉璃玉の耳輪』を書いている最中
には気付かなかったです。 書いている私が気付かないくらいだから、
ほとんど誰も気付かないですね。 それくらい高度なバリエーション
になっています。

 <小野町子もの>の数字

 『琉璃玉の耳輪』と代表作である『第七官界彷徨』の小野町子も
の、これがわずか三年しか空いていないです。その間に簡単に消え
てしまうものだろうか、そこまでの情熱や興味が。代表作にも八犬
伝が影響しないだろうかと想像し、フォーラムの方からもそれにつ
いてしゃべってほしいと要望されました。しかし正直いって、私は
『第七官界彷徨』についてはしゃべりたくないです。なぜなら、研
究者の数が多すぎるからです(笑)。突っ込まれて、針の莚に座ら
されるのは間違いないです。そこでですね、あまり他の人がちょっ
と興味を持たないであろう点について。私は作家ですので、小説家
らしいところで共通するものを探ってみようではないかと、これか
らしばらく話させていただきます。
 そこで『第七官界彷徨』『こほろぎ嬢』『歩行』『地下室アントンの一
夜』は大体小野町子ものとして読みました。人名の位置関係、これ
は誰も気付くことです。

・小野一助(町子の兄)
・小野二助(町子の兄)
・佐田三五郎(町子の従兄)
・柳浩六(町子を「僕の好きな詩人に似ている」と云う)
・幸田当八(分裂心理の研究者)
・土田九作(町子に恋をする詩人)

 これだけ名前に数字が出てきます。四と七が抜けています。それか
ら三五郎が二つ数字を持っています。これは不思議ですよね、なぜか。
「三四郎」のパロディじゃないか。 だけど僕は不思議なほど几帳面な
尾崎翠さんという作家が、 ただ表面的な パロディで そうなさったとは
思えません。彼は二重の存在といいますか、二つの役回りを兼ねてい
る。すなわちある種の兄としての存在、 もう一つは恋人としての存在
かもしれません。  三五郎が 「 ドッペルなんとか 」 といっているんで
すが、これはドッペルゲンゲル (二重性) のことで、彼は言い続ける。
自分自身がこういうふうな存在であるからこそ、 自己言及ができなか
ったのではないかと思います。
 言葉がだんだん難しくなってきましたので、平たくいきましょう。四と
七が抜けているのは、 四が町子である可能性も ありますし 、 読者
の希望としては七が町子であってほしいと思うんですけど、町子は七
になっていないんですよね、 明らかに。 七になりたいと思ったんだけ
れども、 だめだったというふうにしようかな、  どうしようかな。  希求
なさっているうちに、 筆を折られたという気がするんですね。 いくつ
かの可能性を置いていらっしゃいますけれど、もちろん存在しない作
品に関して、これは正解だということはありませんので、 自分はこう
だ、津原は何も分かっていない、こういう解釈があるのではないかと
お考えいただくのが一番いいかと思います。当初、尾崎翠さんご自身
が連作を企てていたとお書きになっていますので、間違いなく書くつ
もりだったんです。それがお止めになった。そこで限られた作品の最
大の魅力というのは、読者が勝手に自分の好きな結末を考えることが
できるということだと思います。
 ただ 『第七官界彷徨』 という作品に関して、 ひとかたならぬ思いを
彼女が抱き、七という数字を特別に捉えていたことは間違いありませ
ん。

映画『第七天国』の影響も

 もう一つの例として、第一回アカデミー賞受賞作品 『第七天国』
(一九二七年/監督フランク・ボーゼージ)があります。これはメロ
ドラマです。内容はこうです。

 ――巴里のスラムで、こそ泥をしながら飲んだくれの義姉と暮らす
娘ディアンヌは、 折檻されて 瀕死のところを 下水掃除人のチコに
救われる。 警察の目から ディアンヌ を隠すため、 チコは彼女を
「妻 」 として自分の部屋に置く。 アパルトマンの粗末な屋根裏部屋。
七階にあたるその部屋を、彼はユダヤ教の最上天に因んで「第七天
国」と呼んでいた。便宜上の同棲に過ぎなかった 二人の関係は、
本物の愛へと変わっていく。しかしチコは戦争に召集されていく…
…。

 舞台はパリなんですけれども、ハリウッド映画です。「第七天国」、
「第七官界」、似てませんか? 文字数だけですが、そう感じるのは
私だけですか(笑)。あまり責めないでください。 気が小さいですか
ら。召集されたチコは死にます。その時に彼の遺言があるんですね。
それには 「上を向いて死んでいったとディアンヌに伝えてください」。
 かつて二人は 屋根裏部屋のある七階まで 上がっていくんですね。
階段ですから、エレベーターがないんです。怖いんです。だから「上を
向いて上がると怖くない」とチコは教えるんです。 この台詞は淀川長
治さんが大好きで、 淀川さんがお話になったことから坂本九の名曲
「上を向いて歩こう」が生まれました。
 どこか尾崎翠の世界と似ていると思いませんか。屋根裏部屋の情
景というのは、惨めで惨めでしようがないんだけれど、 外国の貧乏と
いうのは美しいんですよ、広いから(笑)。日本の貧乏は狭いんで(笑)、
意識に欠ける感じがするんですけど。 それは嫌味でもなくて、私はこ
こが屋根裏部屋であることによって、 大きな ポイントがあるように考
えていますし、 映画評論を書くほどの尾崎翠という女傑がそれを知ら
なかったはずはなかったと思います。ちなみに映画は一九二七年公開、
なんと『琉璃玉の耳輪』が書かれた年と同じです。 そして三、 四年後
に『第七官界彷徨』をお書きになるんです。 これはわりあい時期的に
も合致しているんではないかと思います。

螺旋状に動いている

   ほかにも数字をめぐることは、 八犬士に作者を足すと 「九」 で、こ
れは揃っているのではないかと想像したりします。ましてや九という数
字が土田九作に当てはまりますけど、男女が入れ替わって頭痛持ち
の詩人が 尾崎さんであることは間違いない。 そういうふうな可能性も
考えるんですけど、 例えば 「分裂心理」 という言葉からもいろいろ考
えられるんですが、書かれなかった作品なんで想像するしかない。
  もともと尾崎翠という作家は理に落とさない。 すなわち、これが正
解なんだと読者に提示することを嫌った作家なんです。ですから、最
後まで書けなかった。  まあ、 いいやと思ったのも何となく分かるよう
な気がします。読者に与える効果は、多分そんなには変わらないんだ
と思います。
 小野町子ものというのは、一の次は二で二の次は三だというような、
当然みなさんご存知なように、シリーズではありません。 まあ、 ゆる
やかに人名同士がつながっていって、しかも現実との距離感がまちま
ち。 どう動いていっているかというと、一番分かりやすい 言葉でいう
と 「螺旋状に動いている」 というか、 直線じゃないです。 ですから理
に落とさないように、間をとっていたということもあります。
 八犬伝に似た構造だと理に落とすことは簡単なんですけど、  ここで
そんなことは いたしません。 ただ、 さまざまな古典を 読み込まれたう
えで、作者は身に染み付いていた創作姿勢、最小限の文章によって最
大の文章を創出するといった 高度なテクニックです。 感性で書かれた
のではありません。すごく理知的です。 もう正直いって、すごく天才です。
それは恐ろしいことですね。

 以上で私の不慣れなしゃべりを終わります。ほんとうにありがとう
ございました(拍手)。

                                
         (記録・山本薫里/抄録・西尾雄二)

 

※ 講演の詳細は 『尾崎翠フォーラム・in・鳥取2011報告集』
(12月上旬
刊行)に収録します。報告集の問合せと注文は以
下まで。

       manager@osaki-midori.gr.jp