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今年のフォーラム

Osaki Midori Forum in Tottori

           
          澤登翠 講演抄録

     「尾崎翠の感受性」

              活動弁士  澤登翠

 


心地よい刺激あるユーモア

 私が最初に尾崎翠さんにふれたのは  『第七官界彷徨』 
といタイトルに惹かれてなんですね。 そうしましたら、 驚い
たんです。蘚が恋愛をする!すごく驚いたのは蘚の恋愛と
いうことです。人類が蘚苔類から進化したというのは、人類
の恋愛は蘚苔類からの遺伝だといっていいくらいというんで
すね。 非常にユーモア、  そのユーモアも乾いているようで、 
しかし心地よい刺激のあるユーモアなんですね。 こういう作
家って、それまで読んだことがなかったんで、とっても驚いて
目が開かれたんですね。
 そんなユーモアはほかにもあります。ヒロインが都に上る
ときの文章なんです。「特効薬を詰め終ってまだ蓋をしない
バスケットに、 私の祖母は深い吐息をひとつ吹きこみ 、そ
して私にいった 」。 ハッと思ったんです。というのも、祖母が
深い吐息をひとつバスケットに吹きこんでいるんですね。吐
息というのは、元来見えません。冬だと白く見えるんですが、
本来目に見えない吐息が、この文章を読んであたかも結晶
体になってバスケットの中に落ちる。 そんな感じを持ったん
ですね。翠の筆によると、目に見えないもの、  非存在が実
在化する、 物質になって感じられるという。私、すごくそれに
驚いたんです。

螺旋形の溜息と憂鬱

 次に『詩人の靴』という作品があります。 「丘の下に卵色
の西洋館があって、 その二階に若い詩人の津田三郎が住
んでゐた」という言葉から始まるんですね。ちょっと読ませて
いただきます。
 「さて夏が来て、三郎の象牙の塔を牢獄のように息苦しくし
てしまった。  三郎は止むを得ず窓と反対側の鼠色のドアを
開けておかなければならなかった。(略)
 こんな風で、午後になると三郎は螺旋形の溜息(これは三
郎の詩句を借りたものである。多分癇癪と悲哀の象徴であろ
う)を吐いて、憂鬱に陥った。人間嫌ひで歩くことの嫌ひな
彼は、眠ることによって日中の呪はれた時間を殺すより他の
方法を持たなかった。それで彼は常人の昼と夜とが半分ぐら
ゐ喰い違った日々を送って、漸く螺旋形の溜息と憂鬱から逃
れることが出来た」。
 溜息というものは先ほどの吐息と同じように本来目に見え
ないものなんですね。実在しないわけですね。でも、ここで螺
旋形の溜息と、 溜息を形にしているんですね。螺旋形ってい
うのは表現主義によく出ましたね。溜息が螺旋形!円形、三
角、長方形じゃなく、螺旋形。つまり本来ないものを螺旋形に、
物質化している。これにはやっぱり私、 驚きました。  翠さん
は螺旋形をよく使うんです。 ほかのところでも使っていますし
……。
 翠さんは表現主義映画が大好きで、 翠さんはこの映画も、
もしかしたら観たんじゃないかと思います。ドイツ表現主義映
画 『裏町の怪老窟』 という怖い映画です。その中では螺旋形
の映像が、 恐怖とか不安とか憂鬱とか、 そういったものを掻
き立てるイメージとして出てくるんです。  螺旋形の溜息、 本
来実体のないものを、目に見えないものを物質化する、 実体
化させる、そのような筆力というか、 そういう表現に私はすご
く驚いています。今もずっと驚いています。

鬘・杖・帽子に香と音

 翠さんは長谷川時雨の『女人芸術』 という雑誌で連載して
いた『映画漫想』で 、 面白い俳優や映画について、 独特の
感性で表現しているんですね。 アラ・ナジモヴァといってロシ
ア生まれで 、 モスクワ芸術座の一員としてアメリカに行った
時、  そのまま残ってアメリカ映画で大スターになった女優が
います。尾崎翠は、ナジモヴァが主演した 『椿姫』 『サロメ 』 
における彼女の演技に対して、「技巧天国」と絶賛に近い評
価をしています。   『 サロメ 』ではものすごく演技が精緻なん
ですね。 
 ナジモヴァと同時に評価が高い、 ほんとに称賛してやま
ないのがチャップリンなんですね。チャップリンについて、い
みじくも彼女は 「杖と帽子だ」「帽子と杖だ」  といっている。
チャップリンに彼女は ナジモヴァ以上にページを費やしてい
るんですけれども 、 このチャップリンが出てくる彼女の小説
があるんです。『木犀』という小説に登場するんですね。主人
公が北の方の牧場で牛と暮している人から求婚されて、断
ってしまった。 そして淋しさに襲われる。 翠は東京時代、チ
ャップリン主演の『黄金狂時代』を観ています。
 先ほどの話と通じるんですけれども、「チャアリイは杖で木
犀の香を殴りつけた」 と いうくだりがあります。香りというの
は、 実在していないわけですよね。香りというのは目に見え
ないですね、 それ自体は 。 香水、 香煙とかあるんですが、 
香りそのものは目に見えない、 嗅覚でもって感じるものなん
です。 その香りを彼が杖で殴りつけることによって、あたかも
香りを切っているような、 結晶体を切っているような、 水晶の
ようなものを彼が切っている 、サファイアのようなものをチャア
リイが杖で切っているような感じがあるんですね。
 お屋敷の中でお嬢さんが弾いているピアノの調べ、トロイカ
、これは本来音は耳で聞くもので、音自体、 物質ではないわ
けです。ここでチャアリイが杖をふるって 、 トロイカの呟きを杖
で小刻みに切るという箇所が出て来ます。彼の杖が切ること
によって、 あたかも音がやっぱり実在するようなものとして感
じられる。不在のものが実在するという感覚に私はなるんです
ね。尾崎翠が大好きなチャップリンの杖は、それが向かう対象
は人間だったり物だったり、対象物があるんですね。ところが、
 『木犀』 の中では香り、音という物質化されてないものを切っ
たりすることで、 それらが実体を持つもののように感じられる、
そういう杖として翠が描いていて、実に面白いんです。
 私は、 チャップリンの杖は 日本製の竹で百本ぐらいあるら
しいとか、 そんなことしか知らなかったのに、 こういう風にま
さに詩人の杖として、  尾崎翠が表現していることに眼をひら
かされました。この 『木犀』  におけるチャップリンの杖の表現
に、 私は唸ってしまいました。

植物-動物-人間の微妙な相関

 それから、 好きな作品に 『こほろぎ嬢』  という作品があり
ます。この中から、これは! と思われるところをお話ししたい
と思います。 「いまこほろぎ嬢の身のまわりを罩めてゐる桐
の匂ひは、もはや散りぎわに近く、疲れ、草臥れ、  そしても
はや神経病にかかってゐるのは 争はれない事実であった」。
 つまり、 桐の花が神経病にかかっているという、 蘚の恋愛
に通底するこの感性、すごいですね。
 そして、ここのところにまた通底するくだりが 『地下室アン
トンの一夜 』 にあります。「松木氏がスピリットを一つ殺す
ごとに、詩の著述は一冊づつ殖えて行くんだ。「桐の花開花
期に於ける山羊の食慾状態」「カメレオンの生命に就いて」
「 獏と夢の関聯 」 「マンモス・人間・アミイバ」 「映画の発
散する動物性を解析す」「季節はづれ、 木犀の花さく一夜、
一瓶のおたまじゃくしは、一個の心臓にいかなる変化を与へ
たか」」。 
 ここなんですね。 桐の花開花期における山羊の食欲状態、
つまり ここでは桐という植物と山羊という動物に何か微妙な
相関、微妙な交歓が行われている感覚があるんですね。それ
から季節はずれ、一瓶のオタマジャクシは一個の心臓にいか
なる変化を与えたか、ここには動物と人間との間の微妙な交
歓、 感応がある。そのようなものが松木氏のテーマになって
いる 。 つまり、このようなことに尾崎翠が非常に興味を持って
いるわけなんです。
 こういうふうに、先ほどの桐の花が神経病にかかるという 『
こほろぎ嬢』、 そして松木氏の研究テーマにおける桐の花と
山羊の相関、感応、微妙な影響しあい。そしてオタマジャクシ
が人間の心臓に何か影響する、 変化を与えているという。植
物と動物、 それから動物と人間の間の影響とか、 相関とか、 
交歓とか、 こういうものが非常に面白くて、 これはやはり尾崎
翠の世界の通奏低音のような気がするんです。
  いろいろな生命体があるんですが、 どうしても私たちは人
間中心の世界観になりがちです。けれども尾崎翠の感受性は、
蘚だったり、 桐だったり、 オタマジャクシだったり、 そういうも
のと人間がある種交歓する 。 あるいは そういうものから人間
が微妙に何か受け止めるものがあって、 それによって人間の
心身が変化していく・・・。エロスを感じます。
 自然豊かな所で尾崎翠が育ち、 そして足の下で土を、風を、
髪に光を、指先に植物の匂いを感じていた。 聴覚、視覚、触
覚が滑空するような。元々詩人の才能がありますから感覚が
解き放たれていて、ほんとに自在に、 そういう感覚を心身に
染み渡らせていた尾崎翠というのがすごくあると思うんです。 
植物と動物と、 動物と人間と、人間と植物との間の感応とい
うのが 尾崎翠の世界にあって、 私はとても惹きつけられてし
まうんですね。

映画が発散する動物性

 『地下室アントンの一夜』の中で松木氏の研究テーマ、い
ろいろありましたね。 「 映画の発散する動物性を解析す」、
これも尾崎翠らしいですね。つまり、映像といったものは肉
体があるわけじゃないですね。私たちは肉体を持っているけ
ど、銀幕の中の映像には肉体がないわけですね。
  ところが、ここでは、 映画の発散する動物性というのです
から、スクリーンから一種の動物精気のようなものが放たれ
るのではないか、というような感覚を尾崎翠は持っているの
ではないでしょうか。
 これはとても面白いと思いました。肉体がない、 つまり動
物性がないにもかかわらず、このスクリーンから動物性の何
かを翠が感じとっている。 こういう映像という非現実のところ
から、生命力が放たれる、エロスが放射される。 非常にそれ
が私、 面白いなあ!とつくづく思ってしまうんです。
  普通の映画ファンなら、 キートンがいいとか、  阪妻の立
ち回りがいいとか、そういうふうになるんですね。  尾崎翠は
映画というリ非現実でありながら、 いえ非現実だからこその
映像のリアリズムが持つ摩訶不思議な力を鋭敏に感じとって
いる。動物的な精気を発散するというふうに感じとれる。映画
のとらえ方がユニークですね。

大好きな香りから呼ぶ幻覚

 尾崎翠は香りにとても敏感なんですね。『山村氏の鼻』 を
読んだんですが、私が好きなのは『香りから呼ぶ幻覚』です。
ちょっと長くなるんですが読ませていただきます(略)。
 主人公は、生まれは東京で、陸奥で育ちまして、お琴を習
わされます。お琴の温習会があって、日本髪結って着物を着
て、ちょうど春の遅いころで桐の花が咲いている。 その日は
雨が降っていて、暗がりに佇んでいたら、後ろから抱き締めら
れて、首筋にキスをされるんですね。だれかわからない。 彼
が去った後に、残り香、つまり移り香を感じるんですね。その
香りがすばらしくて、 その香りを放った人に恋してしまうんで
すね。
  東京に出てきて、いろいろあって、レストランに勤めまして、
その香りの持ち主を探すんですね。 そしてあるとき、ようや
くその人と逢うんですね。 夫婦づれでやってきて、 コートを
預かるんです。 コートを掛けるときに、 その懐かしい忘れ
得ぬ香りを嗅ぐんですね。瀟洒な身なりの素敵な紳士。彼女
はようやく対面が叶ったんですが、その後も恋しい人と逢い
たいために、こういう方法で彼の香りを調合するんですね。
 どういう香りかといいますと、その愛しい人の匂いというの
は、「白々とした、滑らかな匂ひで、と云って、大理石を想は
せるやうな冷たさはなく、 温くもらした牛乳のやうな、 と云っ
て油っぽくなく」 枯葉のような、煙草に牛乳を含ませた香りな
んですね。微妙な香りですよね。主人公は煮立てた牛乳を持
って来て、煙草を吸って、 そうすると何年か前に、 雨の降る
遅い春の日に、後ろから抱き締めて接吻してくれたその人に
逢える。香りによって幻覚を呼び覚ますという、 何か不可思
議な翠らしい世界、とつくづく思ったんですね。 温かい牛乳と
枯葉が混じり合った香りというところが、もう何ともいえない。
 しかし、オチがつくんですね。煙草の最初はそんなに高く
ない「朝日」だったんです。 次は「 スター」、 その次は 「E
CC」「MCC」、このごろでは高い「ロードバイロン」が常用に
なりそうと、買うのも大変になってきます。そして愛しい人を
牛乳と煙草の匂いで再現させるというのが、私、ものすごく
好きな世界です。 そういう匂いのする人がいて、 その人を
思い出すためにこういうことをするわけですが、私には残念
ながら全くそちらの方面は皆無で(笑)……。

尾崎翠ワールドの一探検家として

 尾崎翠の香り、 匂いへの感覚の鋭さ、そして繰り返しにな
りますが、植物と動物、植物と人間、動物と人間の感応、交
歓、実体のない、見えないものを物質化、 実在化する感性。 
それから 『歩行』 という中でも、 土田九作氏が「悲しい時に
おたまじゃくしを見てゐると、人間の心が蟻の心になったり、
おたまじゃくしの心境になったりして、ちっとも区別が判らな
くなるからね」っていうことをいうんですね。動物と人間の感
覚が響き合っている、人間が動物に影響されている、それ
どころか両者が溶け合ってしまう、そういう文章があって、と
ても好きです。 
 私たちの世界というのは、 微細なものから、ものすごく巨
大なものまで、生物もあれば無機物もあって、さまざまなも
のに取り囲まれています。尾崎翠の小説を読むと、「 ああ、
こんな感じ方があったの! こんな見方があったの! こん
なことにつながるの!」 ってすごい発見がいっぱいあるんで
すね。まさか溜息や木犀の香りやトロイカの音が実体化する
とか、蘚が恋愛するとか、植物、動物、人間が交歓し、時に
よっては溶け合ってしまうかも知れないとか、 そんな想いも
つかなかった見方、 感じ方を楽しく教えてくれる尾崎翠の世
界というのは、本当に汲めども尽きせぬ魅力に満ちているん
ですね。
 私は初心者で、その世界の入口に立ったところなんですが、
これからもみなさんとご一緒に尾崎翠の不思議な世界、尾崎
翠ワールドに旅をして行きたいなあと思います。 今日はもっ
ともっといろんな個所をご紹介したかったんですが、 特に伝
えたかったところをご紹介させていただきました。ご清聴あり
がとうございました。

                      
    (記録・山本薫里/抄録・土井淑平)

 

 

※ 講演の詳細は 『尾崎翠フォーラム・in・鳥取2010報告集』(12月中旬
刊行)に収録します。報告集の問合せと注文は以下まで。

       manager@osaki-midori.gr.jp