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今年のフォーラム

Osaki Midori Forum in Tottori

           
   蘚苔をめぐるシンポジウム抄録

   
      パネラー:
        有 川 智 己(鳥取県立博物館学芸員)
        北 川 扶生子(鳥取大学准教授)
        山 崎 邦 紀(脚本家)     
      コーディネーター:
          川 崎 賢 子(文芸評論家)

 

       川崎賢子さん(左)と山崎邦紀さん(右)

 

       北川扶生子さん(左)と有川智己さん(右)


川崎 本日はフォーラム十周年ということで、大変興味深い
催しに参加させていただきありがとうございます。
 尾崎翠フォーラム実行委員会の佐々木さんがお書きになった
このシンポジウムの趣旨とをサイトで拝見して、眼が点になっ
てしまいました。というのもこれから有川先生が見せてくださ
ると思いますけれど、コケ学者、生物学者の中で、尾崎翠の名
前知らぬものはない、という一節を拝読したからです。
このシンポジウムは博物学誌と文学誌との幸運な、また尾崎翠
の文学にふさわしい様々な出会いの驚きに満ちたシンポジウム
になるのではないかと楽しみにしております。
有川 鳥取県立博物館の有川です。私は元々ずっとコケの研究
をしておりまして、職業としては植物専門の学芸員なんですが、
専門はコケをやって来た。
 二年前の六月に初めて鳥取へ来たとき、尾崎翠フォーラムの
チラシなども目にしました。その時「尾崎翠というのは鳥取の
作家だったんだなあ」と驚いたんです。というのも尾崎翠はあ
まりメジャーな作家ではないと思うんですが、コケの研究者に
とっては、知らない人はいない、という作家です。私もコケ研
究者ですから尾崎翠の名は知っていて「第七官界彷徨」の作者
は鳥取の人だったんだ、何か縁があるなあ、と思っていた訳で
す。
 また、鳥取は非常にコケの豊かなところでして、冬の間の湿
度が高いということが関係しているんだと思います。鳥取に縁
があったんだなあ、と思います。
 コケというものは、一般的にジメジメした所に生えている何
か汚いもの、というイメージを持たれていると思いますが、そ
んなことはなくて非常にきれいなものだということを見ていた
だければ分かると思います。コケという言葉を辞典で調べます
と、一般的には「木に生える毛」という意味で、古い木や湿地
や岩石などにへばり付くように生きるものを皆コケと呼んでい
るのです。ただ「コケ植物」という言葉がありまして「蘚苔植
物」また「苔蘚植物」と言うこともありますが、私たちコケ学
者が言うコケとはこのコケ植物のことです。
 先ほど池内先生が言われた「粘菌」は広い意味でのコケには
入るんですが、私たちコケ学者が言う「コケ植物」には入りま
せん。同じように古くから存在している植物であるのは間違い
ありませんが。「コケ植物」でないコケの仲間は、例えば藻類
ですとか、キノコの仲間ですとかシダ植物の小さなものですと
か、種子植物の小さなものなどがあります。
 雨に濡れたコンクリートにへばり付いているこの緑色のもの。
これはコケではなくて藻類です。コンクリートの所の赤ペンキ
のようなシミのように見えるもの――これはコケではなくスミ
レモという藻類です。本当のコケ植物とは、蘚類、苔類、ツノ
ゴケ類という風に分けられています。蘚類は世界で一万種位あ
ります。苔類は八千種位ある。苔類もまた「コケの花」を付け
ます。ツノゴケ類は世界で二百位しかありません。
「第七官界彷徨」に出てくるコケはわざわざ「蘚」という字を
使ってあるくらいですからコケに違いない、とコケ学者たちは
思っています。そうあって欲しいな、と。私たちが研究してい
るコケが出てくる小説なんだな、とワクワクしながら読んでい
る訳です。
 今日はあまり細かいことは言いませんが、コケ植物には「コ
ケの花」と言われるような胞子を付けた器官(胞子体)がつき
ます。これがまた、本当に色々あります。
 コケは実に複雑な形をしていて、これは木の幹に生えるカラ
ヤスデゴケですが、とても小さいコケなんですが顕微鏡で見る
とこんな複雑な形をしています。顕微鏡で見ても美しいという
のがコケの魅力の一つでして、コケを顕微鏡で覗くシーンが小
説にも出てきますが、顕微鏡で見たときの宝石のような美しさ
も私たちコケ屋を惹きつけるものです。
 コケというものは食べられもしませんし、商業的にも価値は
ありません。なので、ちょっとでも人の役に立ったり眼にとま
ったり、ちょっとでも文学作品に採り上げられたりすると、コ
ケ屋はとても喜ぶのです。普段からあまり訳に立たないので、
何か世間と結びつくと喜ぶ訳です。
 一九七二年に日本蘚苔類学会が発足したのですが、その頃名
古屋大学におられた高木先生という方が「文学作品とコケ」と
いう十回シリーズを学会誌に掲載して、色々な文学作品に出て
くるコケの話を拾い集めて連載しました。八二年、八五年にも
続編で、こんな話もあった、またこんな形で書かれていたとい
うような記事を書かれています。有名な武田泰淳の「ヒカリゴ
ケ」や井伏鱒二の「山椒魚」などがこの連載で紹介されている
んですが、残念ながらこの中で尾崎翠は紹介されていません。
 尾崎翠がコケ学者の人に知られるようになったのは、尾崎翠
が再評価されて後、一九九五年のことです。神奈川県にある平
岡環境科学研究所という民間の機関の事務をされている、しか
し非常にコケに詳しい本郷よりこ順子さんという方が――この
方は元々文学部の出身で、その本郷さんが読書家で、小説など
もとても好きな方で、その方が昔から尾崎翠を知っていたんで
すね。高木先生に「こんなのもありますよ」と紹介したら「あ
なたが紹介して」と言われて、日本蘚苔類学会会報第六巻第七
号に記事を書いて紹介するということがありました。
 その頃くらいから、この小説はコケ学会の間で知られるよう
になりました。二〇〇二年にコケの普及書として出版された「
コケの手帳」(研成社)という本にも「人類の祖先はコケだっ
た」というタイトルで本郷さんが「第七官界彷徨」を中心にコ
ケを扱った小説を紹介しています。
 ごく最近、二〇〇七年には田中美穂さんという倉敷の古本屋
のご主人で、非常にコケの好きなコケ趣味にはまられた方で、
私たちコケ学者ともつながりを持って活動しておられる方がコ
ケの入門書として非常にすばらしい「苔とあるく」(WAVE
出版)という本を書かれました。この本の中でも「コケと文学」
という一ページほどのコラムで、先ほど池内先生の話にもあり
ました宮澤賢治と尾崎翠の作品が紹介されています。
 このようにコケ学者の間では既に周知なのが「第七官界彷徨」
です。一般向けのコケの本にも紹介されている、コケ学者が「
第七官界彷徨」を読んだときにいい意味でも悪い意味でも気に
なることをいくつか挙げてみます。
 ・「私の前には〜 広がった」。これは本当にコケ学者の実
感です。コケの美というのは集団の美だと私たちはよく言うん
ですが、私たちコケ学者は野外から群落ごと固まりの状態でコ
ケを採集する訳です。これはまるで一つの生態系だ、と言って
コケのかたまりを採集する訳ですがその感覚が書かれている。
 ・「植物中最も冷淡なる」というような箇所もコケ好きには
「ウンウン」と納得したくなるような所です。
 ・ただ、二助の実験でコケに肥やしをやるのは腑に落ちない。
コケは根から栄養を吸いません。体中から吸いますのであまり
強い肥料をやるとすぐに枯れてしまいます。コケに肥料をやる
というのは考えにくい。
 ・コケの花、コケの花粉ということが出てきますが、コケに
はもちろん本来の意味での花はありません。コケの花というの
は一般には胞子体のことですが、当時の生物学の専門書でも胞
子体のことをコケの花と言っているので、これは仕方のないこ
とかなと思います。
 ・コケの恋愛が成就するというのは一体どのことを言ってい
るのか、ちょっと気になる所です。コケの花というのは本当は
花ではなくて、花粉というのは一般的には胞子です。しかしそ
の胞子体は受精してできています。コケにはオスとメスがあり
まして、オスとメスがある以上、人間だってする位ですからコ
ケも恋愛するんですね。メスは卵を作りましてそれに向かって
精子が泳いで行くんですが、卵と精子が結びついたときにでき
るのが先ほどの胞子体です。つまり花が咲いたとき、つまり胞
子体が胞子をつくる時にはもうメイティング(交配)は終わっ
ている訳なんですね。するとコケの恋情が発揮されるのはどの
タイミングなのか、ちょっとそれが気にかかる訳ですね、コケ
学者的には…。
 これはコマチゴケという―町子ではなく小町ですね―名前の
通り大変美しいコケでして、これは鳥取に大変多いのです。県
庁の裏側の久松山系の山や谷に非常に多くあります。日本中で
もこんなにコマチゴケの多いところはないんじゃないかといわ
れています。
 メスのコマチゴケの先端に卵が隠されている。オスの精子を
つくるところも、一見花のような形をしているのですが、この
オスの花が開いて三角形の形になっているところに精子がある。
ここから精子が泳いでいってメスの株の卵へたどり着いたらコ
ケの恋愛が成就するわけです。
 これは別のツルチョウチンゴケというコケです。この花のよ
うに見えるところが精子を作るところですが、ここの雨粒が当
たると精子が飛び散ってメスの所へ行く。この精子と卵の交配
もまたコケの恋愛じゃないかと私たちは思うわけです。
 これはまた別のタイプのジャゴケというものですが、この黒
くてポチッとした気持の悪いところから精子を撒き散らします。
これは映像で見るとかなり迫力があります。ユーチューブで「
コケ、精子」で検索するとその様子を見ることができます。広
島大学の研究です。
 作品の中でコケの培養をするシーンが出てきますが、まさに
そのような形で研究室でコケを培養します。私も以前に大量に
培床地を作ってコケを増やす研究をしていました。肥やしを掛
けるのではなくて、ちょうど良い時期になったのを見計らって
水を掛けてやる。そうするとコケの精子が卵の所へ泳いで行く、
と言う現象が勝手に起こります。水を掛けて二週間すると、―
―種類によって違いますが私の使った種類では二週間すると、
例のコケの花が咲く。そして胞子を撒き散らす、ということが
起こります。まさに二助がやっていたようなこと――肥やしで
はなく水ですが――をまさに私たちもやっている訳なんですね。 
 そういう訳で非常に親近感を持ってあの小説を読んでいます。
川崎 ありがとうございました。中公新書から出ています「苔
の話」(秋山弘之著)という、やはりコケ学者の方がお書きに
なった興味深いエッセーの中で、コケに肥料をやってはいけな
いのだがアンモニア系のものを好むコケがあって、その先生は
若い頃研究熱心のあまりトイレに行く時間も惜しんで研究室の
指導教官から指摘を受けて恥ずかしかった、という話を読んだ
ことがございます。それと「苔の花」というのが歳時記にあり、
季節は夏。どうやらそれは精子を振りまくのを「コケの花」と
呼んでいると理解していいようです。
 それから資料の中に入れさせていただいているんですけれど、
袁牧(一七一六ー一七九六)の漢詩「苔」の中で「苔花米の如
く小さきもまた牡丹を学んで開く」というがありまして、文学
的にコケには花がある、その花も可憐なイメージで描かれてい
る、ということもご紹介しておきたいと思います。
北川 私は尾崎翠が活躍した時代の文化の中から「第七官
界彷徨」を中心にコケのイメージをご紹介したいと思います。
 日本の和歌や和文の中ではコケというものは、人の往来があ
まりないところに生える、という意味から転じて、俗世間から
離れた状態を表す比喩として用いられてきました。「苔の衣」
と言えば僧や隠者が着る粗末な着物を意味していた。「苔の庵
」が隠者の住居、「苔の下」と言えばお墓の下、つまり死後の
世界を意味しました。
 日本文化の中でコケがいかに重視されて来たかということは、
お寺に行って庭を眺めるとよくわかります。「苔寺」というの
は京都の西芳寺こととばかり思っていたら、全国に「苔寺」と
呼ばれるお寺があるそうで、いかに日本人がコケを愛してきた
か、ということを感じました。
 夏目漱石が明治時代に留学したときの感想があるんですが、
「イギリスの庭は全くコケがない、無いばかりならそれほど怪
しむに足らぬのであるが、有れば掻き落としたて仕舞ふといふ
ご挨拶にはいささか驚き入らざるを得ない。」という風に感覚
の違いに驚いています。こちらの写真にありますように日本の
庭園は、樹木があって石があってコケがあって水があって完成
するというのは、今でもそうですね。
 尾崎翠が活躍していた時代に比較的良く読まれていた植物学
の本を見ると、現代とほぼ変わらないようなコケに関する知識
が、すでに普及していたような感じを受けます。日本の古典文
化においてもコケと言うと地衣類も含んでいたんですが、植物
学の本の中では、蘚類と苔類とがちゃんと分類されています。
尾崎翠は小説の中では「蘚」という文字と「苔」という文字を使
い分けていますが、このような植物学の本による分類というも
のを尾崎翠がちゃんと心得た上使っているのではないかと思
います。
 この本を書いた三好学という人は森林保護の先駆者として有
名なんだそうですが、この方の弟子の松島種美という人が非常
に面白い論文を書いています。『変態心理』という雑誌に載った
「植物の心理、感情、変態心理」という論文です。変態と言うとち
ょっと怪しげな雰囲気があるんですが、この時代には「正常」に
対する「異常」というような意味で使われていたようです。
 『変態心理』という雑誌を主宰していた中村古峡という人が、
変態心理学の対象を分類した表を見ますと、当時変態心理、
変態という言葉で意味されていたものが、夢とか、妄想、狂気、
自殺、催眠術、心霊学、犯罪とか暴動、ストライキとか千里眼
なんてものまで含まれていたということが分かります。
 さて、『変態心理』に載った「植物の心理、感情、変態心理」
という論文で、松島種美は「植物には心がある」と断言していま
す。そして視覚・味覚・聴覚・触覚を検討しています。本当に面
白い論文で、私が特に面白いと思ったのは、オジギソウの実験
で、オジギソウを持って汽車に乗るんですが一等車に乗ったと
きと三等車に乗ったときとどう違うか? 一等車に乗ったときは
ちょっと閉じる、三等車に乗ったときはよく揺れるんでグーッと閉
じる、次にもう一度一等車に乗せると全く反応しない。「彼は慣れ
たのだ」と言うのです。(笑)植物にクロロホルムを嗅がせたらど
うなるか、マッチの火を近づけたら苦痛の表情を表すとか、ジャ
ガイモの根を陽に当てないように引き出しに入れておくと根がグ
ジャグジャになって「まさに狂乱の体である」―という訳で植物に
は心がある、と言うのです。
 この中でコケのことも少し触れられていて、蘚苔の精子も雨
の降った日など蘚苔の湿った上を泳いで回って遠方にまでも自
分の好む液体を探り回る。「これは動植物の祖先同一説にも確
固とした基礎を与える学会の大発見である」――これがコケに
味覚のある証拠なんです。「好みの味のある方へ泳いで行く」
―これが正しいかどうか私にはわからないんですけれど。
 ここに出てくる「動植物祖先の同一説」を唱えたのは、エル
ンスト・ヘッケルというドイツの生物学者で、ダーウィンの進
論をドイツに普及させたことで有名な人です。「個体発生は系
統発生を繰り返す」という学説でも有名です。
 私たちがヒトとして生まれてくる場合も、胎内で進化のプロ
セスをもう一度繰り返している、ということを言っています。
また、早い時期から系統樹を作ったことでも有名です。
 これが同時代の科学なんですね。植物が苦悶の表情を呈して
いる、なんて言われると現代ではとまどう人も多いと思われま
すが、当時としてはそれほど突拍子もないことではなかったん
じゃないか、という感じもします。
 「第七官界彷徨」で尾崎翠は、人類の恋愛は蘚苔類からの
遺伝である、と述べています。そこでコケは進化の源として登
場しています。そして、祖先を遠くさかのぼることによって、当時
の性差をめぐる制度から、自分を精神的に解放しようとする試
みも、読みとれると思います。「第七官界彷徨」に登場するコ
ケには、人を夢とか恋愛とか太古の時間の流れへと誘う性質が
ある、という風に描かれていますが、そしてコケの花粉という
のは、何か細かい粉状のもの、雲とか、霞とか、風とか煙とか、
池内さんのお話にもありました薬とか、髪の毛を切ったときの
髪の毛の粉とか、匂いとかというものと手を取り合って人に影
響を与える、主要な作品のモチーフになっています。
 こういう風に尾崎翠の作品世界では、コケが重要な役割を果
たしているんですが、そもそも人がコケになる、というような
物語からはどういう意味が読み取れるのでしょうか? 尾崎翠は
「花束」という初期作品で非常に注目すべき言葉を書いていま
す。「私には、穏やかな顔をして現在の自分に委任していられ
ない気持が始終ありました。何事に限らず、日常の細かい事に
でも、私は自分が今何かを為残しているような、又何かに残さ
れているような不安が私にはありました。これは何処と掴み所
のない、漠然とした、その癖割に根強い不安です。」こういう
不安はある人にはあるし、無い人には無い、そういう種類のも
ので、これがイヤだから…、これが原因だから…というような
ものが分からない。自分が生きている限り、自分が存在してい
る限り感じてしまう、という種類の不安ではないかと思います。
 あるいは「私は枯れかかった貧乏な苔です」という「木犀」
の末尾。私はこれを読むたびにジャコメッティの彫刻を連想し
てしまうんですが、この作家は自分が存在するということに対
して根本的な不安とか、自己否定とか、自分の身体がこの世の
中に現実的に存在するということに対して違和感を抱え込んだ
作家なんだと思います。こうした居心地の悪さ、根本的な自己
否定というのは芸術作品を生み出す原動力になる場合が多いん
ですが、では尾崎翠の場合どのような作品を生み出しているの
か?
 今日何度も宮澤賢治が出てきて、宮澤賢治もコケが好きだっ
たようで、調べてみるとコケの話がたくさん出てきます。宮澤
賢治のファンタジーの世界では、小さくなることは別の世界に
生まれ変わることなんです。その生まれ変わった別の世界とい
うのは、完結していて、ミクロコスモスのような世界を形作っ
ています。これを尾崎翠と比べてみると、尾崎翠の場合は完結
しない夢、という点に特徴があるように思います。尾崎翠の場
合、小さくなるということは別世界に生まれ変わるということ
を意味しない。「第七官界彷徨」は物語全体が回想形式で描か
れていて、回想された世界の中で、登場人物たちはヒマさえあ
ればコケになった夢を見るとか、夢うつつの意識の中でコケと
同じ大きさに縮んだりします。
 自分が小さくなって周りが大きくなると、その世界が完結す
るのが宮澤賢治の世界だとすると、尾崎翠の場合は、まるで白
昼夢のように、夢見る深さがあまり深くなくて、ちょっとした
拍子に眼が覚めてしまうというような世界を描いている。回想
の中でさらにまた夢を見るという風に、距離が二重にとられて
いて、夢を見る行為が入れ子型のようになっています。常に、
自分が夢を見ているという行為を忘れることがありません。私
は夢を見ているなあ、と思いながら夢を見ているような。宮澤
賢治とは対照的に、夢の世界はいつも完結せずに終わってしま
う、という不安定さがあります。そしてその世界を様々な植物
が彩ります。コケ、ミカン、栗、二十日大根、びなんかずら…と
いう風に様々な植物が登場しますが、植物の存在感がどんど
ん大きくなっていく世界の中で、人の輪郭はどんどん曖昧にな
っていきます。
 先程コケに肥やしを掛けるとあまりよくないというお話を伺
ったんですが、コケは基本的には食用ではありませんよね。尾
崎翠が活躍した時代は、東北では食べられなくて娘を売ったり
した時代です。翠のお兄さんは東大農学部に通っていたんです
が、東大農学部はいかに農村を元気にして収益を上げるか、食
料を確保するかという点で切実な要請を受けていた。肥やしの
実験というのは国家的な課題でもあるのです。その後実際に戦
争へと突き進んで行くわけですから、この肥やしの実験の背後
には、実にリアルな現実があるんですね。それをギシギシと肌
身に感じながら、コケに肥やしをやるという何にもならない―
―繰り返すようですがコケは食べられないので――ことをあの
時代に書いているということはスゴイなあと思います。
 そういう中で「第七官界彷徨」では、世界がドンドン無意味
にされていきます。時間が流れない、白昼夢のような世界の中
で、その無意味さと軽やかに戯れる、成長しない女の子が描か
れる。ナンセンス文学の傑作「不思議の国のアリス」の主人公
は、ウサギを追いかけて穴の中へ飛び込んで、三月ウサギとか
ネズミとかイモムシとか、色々な小動物に出会ってナゾナゾを掛
けられたりしますが、「第七官界彷徨」は植物版「不思議の国
のアリス」というところもあるんじゃないかとも思います。
川崎 ヘッケルという生物学者の影響力は、尾崎翠および今日
何かと比較の対象になっている宮澤賢治あるいは夢野久作など
様々な文学者たち、いずれも様々な形で新しい時代の仏教と縁
のあった人たちにまでよく読まれました。ヘッケルの思想は日
本の読者の間でも、ナチズムに回収された部分もありました。
例えば夢野久作の場合ですとある種のナショナリズムとアナー
キズムとの間を揺れ動いたり、宮澤賢治の場合ですと一瞬です
けれど「一人はみんなのために、みんなは一人のために」とい
うような少し危険な領域に踏み込みそうになっていたのに対し、
尾崎翠の場合は進化論や新しい仏教を学んでもそういうものは
なかった、ということが私は興味深く思っています。進化論を
学んでそれをパロディ化しながら決して弱肉強食だとか適者生
存とか自然淘汰というような競争原理については言及しようと
しなかったし、「一人はみんなのために…」というような集団
論を持とうとしなかった。その孤立というのは、実は私たちに
とっては尊い先駆けの有り様ではなかったかと思って、お話を
伺いました。
山崎 鎌仲ひとみ監督の最新作のドキュメンタリー映画『ミツ
バチの羽音と地球の回転』で、印象的なシーンがありました。
脱石油・脱原発を決め持続可能な社会にシフトしているスウェ
ーデンのある地方都市で、風力発電の風車を二十数台設置する
計画が企業によって立案された時に、森の中の何種類もの苔に
悪影響が出るので、取りやめになったケースが報告されていま
す。苔を鹿が食べ、その鹿を人間が食べるというのですが、実
際に結構の長さに伸びた苔を鹿がムシャムシャ食べているシー
ンが撮影されていました。苔を守るために、風力発電をやめさ
せる社会というのも素晴らしい。
 尾崎翠復活に大きな役割を果たした批評家・花田清輝は『第
七官界彷徨』について「異常なまでに明るい日のひかりに満ち
溢れたようなその小説の中には、見事に植物の魂がキャッチさ
れていたような気がします。とすると、その植物は、われわれ
の周囲では珍しい例ですが、二十世紀の植物だったのかもしれ
ません」(「ブラームスはお好き」1960年)と書いています。
尾崎翠以外の作家が描く植物は19世紀的だと言うのですが、
『尾崎翠の感覚世界』(1990年)の著者で、芥川賞作家の加藤
幸子さんは「もしかしたら尾崎翠は二十世紀の植物≠ナある
よりも、近代の常識を乗り越えて、二十一世紀に実を結ぶべき
植物かも…という予感がする」と書いています。
 苔が環境を守るバロメーターとなっているスウェーデンのエ
ピソードは、尾崎翠的な世界が現実となりつつあることを示し
ているような気がしました。
 尾崎翠は「第七官界彷徨」(1931年)で「蘚の恋愛」を描きま
した。熱い肥やしをかけられて、恋をする蘚です。また「木犀」
(1929年)では、その末尾で「私は枯れかかつた貧乏な苔です」
と、自らを苔に喩えています。一方、花田清輝は「かの女は、
相当、ながいあいだわたしのミューズでした」(「ブラームスは
お好き」1960年『安部公房集』解説)と書き、これは有名なフ
レーズなのですが、「第七官界彷徨」が時を越えて収録された
『現代文学の発見 第6巻 黒いユーモア』(1969年)の解説
では「およそ資質の点においても、わたしとは正反対の作者で
あると考える」とも書いています。
 安部公房の小説「砂の女」は、花田清輝の「沙漠について」
(1948年)というエッセイに触発され、それを原理篇として書か
れたというのが定説です。湿気の多いところに生息する苔と、
「砂の女」の砂丘や花田の語る沙漠は、まったく対照的な世界
です。花田の言う「資質においても正反対」とは、「苔派」に
対する「砂派」、「苔人間」に対する「砂人間」と考えること
ができるのではないか。苔人間バーサス砂人間、というとホラ
ー映画みたいですが、人間のタイプを苔派と砂派に分けてみた
ら面白いような気がするのです。
 尾崎翠の『第七官界彷徨』(1931年)では、「肥料の熱度、
つまり温度による植物の恋情の変化」というのが、小野二助の
研究です。トイレからくみ出した肥やしを、大きな土鍋で煮て、
それを苔にかけ、肥やしの温度によって苔の生殖活動がどのよ
うな影響を受けるか観察します。肥やしのくみ出しを担当させ
られている三五郎は言います。「今晩にわかにあの鉢が花粉を
どっさりつけてしまったんだ。蘚に恋愛を始められると、つい、
あれなんだ、つまり―まあいいや、今晩はともかくそんな晩な
んだ。僕は蘚の花粉をだいぶ吸ってしまったからね」。
 苔の恋愛が始まり、花粉を飛ばすのですが、これは尾崎翠のフ
ィクションで、実際には先ほどの有川さんのお話にあったように、
花粉ではなくて胞子で増えるのだそうです。それはともかく人間
がコケの恋愛に巻き込まれ、花粉を吸って三五郎は発情したよう
な状態になります。苔の恋愛は見事に成就しますが、それに触発
された人間の方は片恋や失恋ばかりしているところが、この小説
の面白いところです。
 お調子者の三五郎と違って、クールな研究者である二助は「植
物の恋愛がかえって人間を啓発してくれるよ」と言い、幻想をい
だきがちな人間の恋愛よりも、苔の恋愛の方を上位においていま
す。二助は「かくて植物中もっとも冷淡なる風貌を有する蘚とい
えども、ついにその恋情を発揮し」と言いますが、苔は恋愛や生
殖からもっとも遠い地点にいるように見えることで、二助の研究
対象に選ばれたようです。
 二助の兄である一助は心理学を専門とする医者、それも分裂心
理学という、尾崎翠の作り出した変てこな心理学の医者ですが、
二助と朝方、ふすまを隔てて苔についてディスカッションをする
場面があります。フランスで『第七官界彷徨―尾崎翠を探して』
を上映した時に、もっとも笑い声の上がったシーンですが、一助
は言います。
 「人間が恋愛をする以上は、蘚が恋愛をしないはずはないね。
人間の恋愛は蘚苔類からの遺伝だといっていいくらいだ。蘚苔類
が人類の遠い祖先だろうということは進化論が想像しているだろ
う。その証拠には人類が昼寝のさめぎわなどに、ふっと蘚の心に
還ることがあるだろう。じめじめした沼地に張り付いたような身
動きのならないような、妙な心理だ」。ある場所に貼り付いて、
移動はもちろん活発に周囲を侵食していくこともできず、ぢっと
黙って佇んでいる苔に、一助は人間の分裂心理の起源を求めてい
るようです。
 それに対して二助は「僕の蘚は実に健康な、一途な恋愛を始め
たんだ。蘚というものは実に殉情的なものであって、誰を恋愛し
ているのか分からないような色情狂ではないんだ」と、誰でも彼
でも分裂心理の患者に見立てようとする一助に対して、苔も、そ
れを研究する自分もきわめて健康であることを強調します。なん
とか苔の事例から治療方針を立てたいと思う一助は、二助に可笑
しな提案をします。「蘚の分裂心理を培養してみてくれないだろ
うか。熱い肥やしと冷たい肥やしをちゃんぽんにやったら、僕の
治療の参考になる蘚ができないだろうか」。
 二助は激怒します。「なんということを考えつくんだ。僕がそ
んな異常心理を持った蘚を地上に発生させるとは、もってのほか
だ。ひとたび発生さしてみろ、その子孫は、彼らの変態心理のた
め永久に苦しむんだぞ」。実に愉快な討論で、フランスで笑い声
が上がりながら、どうして日本ではチンプンカンプンと言われる
のか、実に残念です。
 苔には恋愛がありましたが、砂には何があるのでしょうか。砂
漠派のボス花田清輝の「沙漠について」(1948年)を見てみまし
ょう。
「砂とは、まことにつかみどころのないものであり、どこかに手
がかりを見出そうと、もがけばもがくほど、私をとりまいている
乾いた砂の壁は、絶えず、ずるずると崩れ続け、このところ私は
アリ地獄の穴の中に落ちたアリみたいにすり鉢型のくぼみの底で、
やがて血を吸い取られ、からからに干からびて投げ出される時を
待っているような状態だが…うずくまったまま、砂を握り、指の
間からさらさらと落ちてゆく砂の姿に茫然と眺めいっている現在
の私…」
 砂漠は虚無の代名詞で、恋愛など存在する余地はありません。
花田は、しかし砂に圧倒されるだけでなく、虚無の中から創造す
る、価値あるものを作り出す方法はないか、頭を捻ります。一粒
一粒の実体としての砂ではなく、絶えず形を変えていく運動とし
て砂の集団、つまり砂丘や砂漠の変幻自在な動きに着目しようと
花田は言います。
 「無数の砂粒の運動、砂の波の起伏の無限に続く沙漠の運動は、
実体のある砂と実体のない波との激しい対立からきており」と書
いていますが、対立を対立のまま統一するというのが花田オリジ
ナルの弁証法で、不毛の代名詞のような砂が、波動として捉えら
れることで、新しい時代の創造的なモティーフを獲得しています。
花田はまた、砂漠のスフインクスについて、次のように書いてい
ます。「人間の顔と動物の体の結びついているスフィンクスは、
魂と肉体との対立を、対立のまま、統一している状態であり、そ
れが両者の対立を二者択一の問題として取り上げず、魂と肉体と
のもつれ合い、絡み合っている状態を本質的なものと見做し、悠
々と砂の上に寝そべっているありさまは、まさに沙漠的精神の『
乾燥したはげしさ』(ドライ・ハードネス)を物語るものとして
感心するほかはない」。
 花田によれば「沙漠的精神」とは「乾燥した激しさ」だという
ことになりますが、このドライ・ハードネスこそ花田の生涯のモ
ットーだったような気がします。苔とは正反対の、砂人間の本領
発揮です。
 花田の砂漠的精神を引き継ぎ、作品化した安部公房の『砂の女』
では、主人公の男が「砂地に住む昆虫の採集が目的」で砂丘にや
ってきて、砂の底にある一軒の家に泊めてもらいます。その家に
は女が一人住んでいるのですが、絶えず滑り落ちてくる砂をかき
出さなければ砂に沈んでしまい、その家が砂に飲まれると、次々
に村に波及するので、そこでストップさせるための働き手として、
彼は村人によって捕らわれたのでした。
 彼は砂丘にやってくる前から砂を研究し、同僚の教師にこんな
ことを言います。「砂が固体でありながら、流体力学的な性質を
多分に備えている、その点に非常に興味を感じるんですがね…け
っきょく世界は砂みたいなものじゃないか…砂ってやつは、静止
している状態じゃ、なかなかその本質はつかめない…砂が流動し
ているのではなく、実は流動そのものが砂なのだという…自分自
身が砂になる…砂の眼でもって、物を見る…」。観念的には花田
の論を地でいってるのですが、しかし本で読んで考える砂と、砂
丘に迷い込んで、砂の底の家で砂をかき出す作業を強制される砂
では、まったく異なります。彼は女と口論になります。
 「砂で梁が腐るってのはおかしいじゃないか」「いいえ、腐り
ます」「しかし、砂ってやつは、もともと乾燥しているものなん
だよ」「でも腐りますね。砂が付いたままほったらかしにしてお
いたら、買いたての下駄だって、半月も経たないで、融けてしま
ったって言いますからね」「わけが分からんな」「材木も腐るけ
ど、いっしょに砂も腐っちゃうんですね」「まさか! 流動する
ってところが、砂の生命なんだな。腐らせるだなんて、とんでも
ないことだ…まして砂自身が腐るだなんて…第一、砂ってやつは、
れっきとした鉱物なんですよ」。
 女は黙り込みますが、もちろん納得したわけではありません。
彼は次第に砂が自分が考えていたような乾燥一方のものではない
ことを、体験的に思い知っていきます。彼は、逃げ出そうとして
失敗した後の絶望的な状況の中で、ある偶然から砂の壁に埋めた
桶の中に水がたまっているのを発見します。
 「男は次第に込み上げてくる興奮を、抑えきれない。砂の毛管
現象だ。砂の表面は比熱が高いために、常に乾燥しているが、し
ばらく掘っていくと、下のほうは必ず湿っているものである。表
面の蒸発が、地下の水分を吸い上げるポンプの作用をしているた
めに違いない」「この砂全体がポンプなのだ。まるで吸い上げポ
ンプの上に座っているようなものである。男は動悸を静めるため
に、しばらくは息を殺して、じっとしゃがみ込んでいなければな
らないほどだった」。笑うべきことに、男はこの水をためる装置
の研究に、俄然興味を持ち、打ち込みます。女が病気になって運
ばれるドサクサに、逃げようと思えば逃げられたのですが、男は
砂の底に戻って、砂丘で水をためる装置の研究を続けます。
 この小説を読み終わると、あたかも日本人男性の生き方がここ
に集約されているような気になります。彼は職場や家庭から逃げ
て砂丘に来たのですが、その結果、何を考えているのかまったく
つかめない女と暮らしながら、滑り落ちてくる砂をかき出すとい
う、まさに砂を噛むような仕事を強制され、にもかかわらず、そ
れなりの生きがいを発見してしまう。これはリアルな現実ではな
いでしょうか。
 それに対して、彼が夢想する「砂に浮かぶ船」というアイディ
アは美しいものです。「水に船なら、砂にも船でいいはずだ。家
の固定観念から自由になれば、砂との戦いに無駄な努力を費やす
必要もない。砂に浮かんだ、自由な船…流動する家、形のない村
や町…」。日本的な共同体を否定した彼方に浮かび上がる、幻の
村や町。苔派も砂派も、目の前にある現実とは異なった現実を夢
想するという点では、共通しているのではないでしょうか。
 結論は特にありません。あえて言えば、誰の中にも苔人間と砂
人間が住んでいて、その比重は人によって異なりますが、先ほど
も触れたように、今目の前にある現実の世界とは別の世界を夢見
ている、という少女マンガ的なことになるのでしょうか。
川崎 私の最近書きました『尾崎翠 砂丘の彼方へ』という本の
標題は、以前の当、尾崎翠フォーラムで、突然書くことを止めて
鳥取へ帰って行った尾崎翠の姿というものは、やっぱり天才的な
詩人と言われたにも拘わらず詩を書くことを止めて砂漠の彼方に
姿を消したランボーに面影が似ているのではないか、ということ
を話し合ったことがあります(東郷禮子『アーク』二〇〇四年秋)
。その議論に触発されたところもあります。拙著の最終章は尾崎
翠自身の言葉から「柔らかい海」と名付けました。これは尾崎翠
がまだ若く初期短文を書いていた頃に、朝の砂浜を散歩しながら、
それを全身で、五感を解放しながら砂の感触を「なんという柔ら
かい海であろう」(「朝」一九一五年)という風に言っている一
節があるんです。それで最終章は「柔らかい海」といたしました。
その意味では尾崎翠はコケ人間と砂人間を二者択一で生きたのは
なく、湿った流体としての側面と、ドライ・ハードな側面を両方
兼ね備えた作家ではなかったか、とそのように思ったりしていま
す。
         
     (記録・西尾雄二/抄録・土井淑平)

 

 

※ シンポジウムの詳細は 『尾崎翠フォーラム・in・鳥取2010報告集』
(12月中旬
刊行)に収録します。報告集の問合せと注文は以下まで。

       manager@osaki-midori.gr.jp