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今年のフォーラム

Osaki Midori Forum in Tottori

           
          池内紀 講演抄録

 

  

    「尾崎翠の新しさ」

               ドイツ文学者  池内紀

 尾崎翠は、「日本文学全集」という一冊本で ― 尾崎翠の場
合例外的ですが、ほぼこの一冊本に主だった作品は入ってい
る。日本文学全集というものは、普通は箱入りの大きなものを
連想するんですが、この「ちくま日本文学全集」は、小さな文庫
の形で、表紙が安野光雅さんの絵で、まあやさしい文学全集で
す。
 それは、これまでのような厳しい、 また文学史的なバランス
主義ではなくて、自分たちが面白いと思ったものを優先して選
ぶ。それで全部で五十冊作りました。漱石とか鴎外とか太宰と
か芥川とか、そういう中に尾崎翠を入れたわけです。
 奥付にそうありますから1991年 ― もう20年前ですけど、
さすがにちくまの人は(尾崎翠が)名も知られてないし、時代
的にも古いとして、かなり異議があったんですけど、ぼくは尾
崎翠をこういう中に入れてこそ初めて文学全集の意味がある
んだ、ここに入れるからこそこういう仕事をやった甲斐がある 
 ― というような言い方でお願いしたし、他の皆さんも 「 まあ
いいんじゃない」ということで尾崎翠が入りました。
 これが出て、通しで読んでみて「尾崎翠はこういう点で面白
いのか、彼女が関心を持っていたことはこういうことなのか」
という風に分かるような構成にしていたので、普通で言う若い
頃から晩年の作品という流れではなく、尾崎翠の特徴が分か
り易い構成にしています。

1、尾崎翠と宮沢賢治に共通するもの

 尾崎翠は宮澤賢治と同じで、1896年の生まれで、宮澤賢治は
1933年、尾崎翠は1971年。96年は同じで賢治は33年翠は71年
でもこれは生涯が、人生の長さの点からだけなら宮澤賢治が三
十七歳で死にましたから1896年から1933年という生涯に収まっ
ている。
 尾崎翠が東京に最終的に見切りを付けて鳥取へ帰るのが
1932年です。翌年のこちらの(鳥取の)新聞にチャップリンにつ
いての長目のエッセー 、当時よくあれだけのエッセーが書けた
と思うようなエッセーを発表したのが1933年です。 尾崎翠の文
学的な生涯は1933年で終わっている。 だから宮澤賢治と尾崎
翠の文学的生涯は同じである。ぼくはその点も面白いと思う。
 この二人、宮澤賢治の持っていた新しさと尾崎翠が持ってい
た新しさとはどこか共通する。宮澤賢治は岩手県の花巻ですが、
そこから何度か上京していますね。宮澤賢治に詳しい人は、宮
澤賢治が妹の看病に当たったり、彼は日蓮宗の熱心な信者でし
たから布教のために東京へ出て行ったり、何ヶ月も東京で過ご
している。何度か花巻と東京とを往復している。童話集の大半
は東京で書いた。東京で書いたものを何度も何度も繰り返して
トランクに入れて持ち帰る。この往復、上京と帰郷を何度も繰
り返している。
 尾崎翠もまた上京しては鳥取へ帰る。その繰り返しの中でか
の時だけの文が芽生えたんじゃないか。あのころは現在のよう
に日帰りで東京へ行くというのではなくて ― 先ほど余部の鉄
橋の話が出てきましたが ― 鳥取からずうっと東へ東へ行って
京都へ出て、京都から東海道線でずうっと来る。列車の乗り換
えが順調にいったとしても二十時間ぐらいかかる。便数も非常
に少ない。それを彼女は何度も何度も繰り返して、最終的には
鳥取へ居着くことになる訳ですから、十七年間で七度くらいあ
の頃での大旅行をしている。
 余部の鉄橋ができたのが百年前くらいですか? あれが彼女に
とっては大変意味がある。あれがあったからこそ京都経由で上
京できる。あれができなければ上京・帰郷の往復運動はできな
かっただろう。それが一つと、ぼくは鉄橋の上から何度か見た
けれど、非常に面白い視点ですよね。ああいう視点は普通はな
い。鳥でなければ見られないような風景が見られる。 彼女から
すれば思いを込めて東京へ出、色々な思いを込めて東京から
帰ってくる。その途中で見えた風景ですからあの女性にあの視
点で世界を見るということが印象を与えないはずはない。 それ
は彼女にとって非常に意味のある鉄橋である。
 そういう上京・帰郷を繰り返したのも賢治も同じです。 そして
作品の大多数ができたのも東京。非常に孤独な下宿住まいの
中で生まれた、それも同じです。それから生涯に一冊の本と言
うか、―賢治が書いた『春と修羅』の詩集と『注文の多い料理
店』の童話集と、賢治が生前本にしたのは二冊だけ。どちらも
全く売れなくて 、 夜店のゾッキ本に出ていた 、 というそういう
本ですね。翠の場合も『第七官界彷徨』がほとんど唯一の生前
陽の目を見た本です。翠と賢治の生年、そして文学的な生涯の
没年、それから生前の文学的業績、世の中の評価の無さ、無
視され忘れ去られるという状況があったという点でも非常によく
似ている。
 それは外見的なことですが、それよりももっとよく似ている
のは、二人がこれまで誰も書けなかった本を書いた、宮澤賢
治の『春と修羅』という本には「序詞」が付いていますが、あれ
を見ると驚きますね。あんな「序詞」が付いた本があるのか 。
驚くほど不思議な序詞です。「私という現象は何とか電流の青
い点滅だ」とか「私の心象は時間の何とかだ…」という宮澤賢
治の独特の語彙で語る、全く普通の人に分からない、しかしそ
この語られているのは、明るさとそれまでの詩人が決して歌わ
なかったようなことが歌われている。『 注文の多い料理店 』で
も、それまでの小川未明とか、坪田譲治とかの童話作家が書
くような童話とは全く違う童話ができた。宮澤賢治はそれまで
誰もか書かなかったような詩を書き童話を書いた。
 同じように尾崎翠はそれまで誰も書かなかったような小説を
書いた、とぼくは思います。この点も宮澤賢治と尾崎翠とは非
常に親しい同時代の人であって、一人は大人のための童話と
いう新しい形を見つけたし、尾崎翠は小説のスタイルを取った
童話、大人のメルヒェンを書いた、という風にぼくは思っていま
す。

2、尾崎翠作品の古びない新しさ

 先ほど、尾崎翠の小説は、それまでにない小説、 それまでに
ない物語と言いましたが、 正確に言うと 何か似たものはありま
す。後から考えてみて尾崎翠の文学の系譜は、例えば横光利
一の非常に実験的な小説ですとか、堀辰雄の非常に抒情的に
書こうとしたスタイルとか、 安部公房が戦後颯爽とデビューした
あの形式とかが重なってきます。だからある系譜が作れること
は確かです。
 ただし 、 横光利一の非常に実験的な意図を込めた文学は
現代から見ると非常に古い、底が見えてしまう。堀辰雄のあの
抒情性、「 風立ちぬ 」のあのなよなかな、はっきりしない情感
を、あの時代軍国主義のあの時代に書くということ自体が反抗、
強い意志表明であったと思いますが、現在ではさすがにあの仕
掛けに当たるものがクサイ。 安部公房の非常に優れたものは
現在もっと読まれてもよいと思いますけれど、そういうものと尾
崎翠は重なっている。しかし尾崎翠の場合は作為がなかった。
本能的に探り当てた文体・表現としてその分だけ古びない。
 途方に暮れる、 どういう小説かな、 どこが面白いんだろうと
いう戸惑いの一方で、 とてもモダンな感じ、 新しい感じがする。
決して八十年も前に書かれた小説とは思えない。 あの頃書か
れた、 たとえば芥川とか、 菊池寛とか久米正雄とか、 よく売
れた著名な作家がいますが、その古び方とは全く違うところが
尾崎翠にはあるのはどうしてだろう?時代によって古びないも
のがある。尾崎翠は時代に合わないので忘れ去られたと思い
ますが、その分からなさ加減が時代を超えて、今新しいものと
して残る。 それは どうしてだろう ? ぼくは 生身の尾崎翠は
全く知らないので、独り合点かも知りませんが、作品だけで見
る限り、古びないのにはいくつか要素がある。
 この本(ちくま日本文学全集)は、「 第七官界彷徨 」 はメイ
ンだけど冒頭に置かないで、「 こほろぎ嬢 」と「歩行 」「 地下
室アントンの一夜」を先に置いて、それから「第七官界彷徨」
を入れました。その後にとても洒落た短篇 「山村氏の鼻」 と
「詩人の靴」を入れた。 それから間に「アップルパイの午後」
 ― 対話劇のスタイルで映画シナリオだと思うんですけれど、
そのタイトルも八十年前のものとは思えない、今の女性雑誌
の洒落た短篇にピッタリのタイトルと思いますが ― それから
「花束」「初恋」 という少し地味な短篇を置き、 その後に初め
て、デビュー作「無風帯から」を置いた。
 浦富で代用教員をしていた頃の悶々とした―若い人にこの町
で一生を送れと言われたときの気持。ここ以外であればどこで
も良いから出て行きたい、故郷が懐かしいなんて 「遠きにあり
て」の話であって、故郷に若い人が謂わば釘付けにされるのが
どれほど辛いか、 ということはよく分かります。 無風帯というの
はそういう鬱状態にある若いときの鬱屈感を表しています。 そ
れからチャップリンについてのエッセー 、 匂いについてのエッ
セー、「 捧ぐる言葉」、それから詩の形 ― 先ほどいわみコーラ
スで古文体と言うか古い言葉が歌われていましたが、あれは尾
崎翠には例外的であって、 まあそういうものが一番最後にもっ
てきてあります。
 尾崎翠が何に関心を持っていたか、これで大体分かりますね。
例えば最初の「こほろぎ嬢」には粉薬が出てきます。 粉薬の常
用者ですね。粉薬は別の小説で女の子に買いに行かせると言う
場面があり、また別の小説では名前が出てくる。「 ミグレニン 」
を買いに来る。 そのミグレニンは尾崎翠も常用していたのです
が、ミグレニンが何度も出てくる。ミグレニンはもともと頭痛のた
めの鎮痛剤ですが、一般の薬局でも手に入る。オシャレのよう
に持って行くことができる、仁丹のようなものですね  仁丹もそ
の頃広まった薬であり、オシャレな小道具です。
 尾崎翠がミグレニンを常用したのは、幻覚を得ることができ
た、夜寝なくても疲れない、また想像が広がり浮かんでは消え
るというような面白さがあった。だから最初は面白がって飲ん
でいたが、常用者になり、幻覚がひどくなり、最終的にはお兄
さんが鳥取から出てきて東京から連れ戻した。それはミグレニ
ン中毒に陥っていたからです。
 彼女はミグレニンの面白い効果を知っていた。それは自分が
それまで知らなかった想像であり 、 またそういうものを書いた
文学もない。 この薬品は自分の書きたい小説と重なる部分が
ある。明らかに彼女はそれを利用しようとしていたと思います。

3、ドッペルゲンゲルの彷徨と変身

 主人公の名で幸田当八というのが出てきますが、分裂心理病
院の医者ですが、彼女は( 精神の分裂ではなく ) 意識の分裂 
 ― 想像が湧いてはまた 別の想像が湧くというような 、 そうい
う意識の分裂状態に非常に関心があった。幸田当八は「こほろ
ぎ嬢」にも 「 歩行 」 にも 「 第七官界彷徨 」 にも出てきますが、
それは彼女がそういう分裂心理・深層心理に非常に興味があっ
たことを示している。 人間の中にはもう一つの意識、 意識しな
い意識(潜在意識) があり人間を動かすものは案外と目に見え
ない意識じゃないか?
 そういうことに対する関心が彼女にはあった。ですから小説
の中に 「 ドッペルゲンゲル 」 という言葉が出てきます。ドッペ
ルゲンゲルとはドイツ語で 「ダブルの、歩く人 」 という意味で、
自分とそっくりな人間がもう一人いてその人がどこかを歩いて
いる。自分の影のような人物がもう一人いる。そういう妄想を
医学的には「ドッペルゲンゲル症状」と言う。
 そういえば江戸川乱歩の小説の人物もほとんどドッペルゲン
ゲルだ。怪人二十面相もそうでしょう。同じ人物色々と変装して
出てくる。それも屋根裏部屋から出てくる。「屋根裏の散歩者」
と言う乱歩の代表作がありますが屋根裏や地下室が出てくる。
それは尾崎翠の小説とほぼ等しい。翠も「地下室アントンの一
夜」というのがあります。闇と明かりのすれすれの境界の中に、
もう一人の自分がいるのではないか?
 江戸川乱歩は尾崎翠より二歳年上でほぼ同時代です。彼は
三重県の出身でそこから東京へ出たり入ったり出たり入ったり、
また有名なほどの引っ越し魔だった。 同じような時代に同じよ
うな舞台で、闇と光が交錯するような空間―地下室と屋根裏―
で、一種の分裂というか意識の中で自分が意識できないもう一
人の自分がいるんじゃないか、そういう想念を持った人物を乱
歩は小説にしている。その点でも尾崎翠のモチーフとよく似て
いる(表現の仕方は全く違うが)。
 尾崎翠の「第七官界彷徨」の一節。「第一心理と第二心理と
いう区別にして第一心理は患者の識閾にあるとすると第二心理
は意識の下に沈潜して自覚されないもの」。自覚される第一心
理と自覚されない第二心理があって、人間というものは自覚さ
れないもう一つの心理状態を持っている生き物ではないのか。
 尾崎翠が問題にした「第七官」―第一心理を越えるもう一つ
の感覚の世界とは、現在の心理学で言えば「深層心理」「潜在
意識」という言い方をしている。ちょうど1920年代にフロイトか
ら ユンクに学説が受け継がれ深められる頃に 、 世界中に流
行した言葉で、深層心理・潜在意識によって人間は動かされて
いるのではないか、自分は意識していないけれど自分を衝き動
かしていそういう無意識の世界がある、それまで無視されてき
た未知の世界がある、ということが学問的に言われてきた。尾
崎翠は自分が考えてきたことが学問的にも正しいんじゃないか
という自負があったと思います。
 「 第七官界彷徨 」 の彷徨とは、行きつ戻りつ行きつ戻りつで
すが、第一心理と第二心理の彷徨、意識と無意識の間での彷徨
ではないか。 そういう彷徨の動かす力は、 むしろ意識しない力、
思わず何の気無しにという意識を越えた無意識が生み出す彷徨 
 ― 彷徨の定まらない、角度の定まらない、行きつ戻りつではな
いか。第七官界と人間の無意識。私たちの心理状態、一種の不
安状態というそういうものが、独特の表現をとっているがために、
私たちに思い当たることがるので古びないのではないだろうか。
 尾崎翠の表現の仕方で、例えば人物の名前で、幸田当八、土
田九作、 小野一助、 二助、 佐田三五郎、 という風に数字で一、
二、三、五、八、 九 という数字で命名されている。 数字が級数
的に増えてゆくだけで人物が変わってゆく。これは謂わば一番
わかりやすい意味での 「変身」 あるいは分裂ですね。 ドッペル
ゲンゲルは一人が二人になる、それを増やしていけば、一、二、
三、 五、 八、 九 となる。 色々な人物が出てくるにしてもそれぞ
れが一人の人物の分身ではないのか。分裂という形で分かれる
ことによって生まれてきている。
 小説の個々の人物が生まれ、育ち、考え、悩み、変化し、発
展してゆくというような、人間の成長過程を追うような小説の人
物像ではなくて、 一を弾けば二になって、 三、五、八、九 にな
るという形が生まれてきている。 こういう名前で小説を書こうと
いう自体、当時は全く並はずれたことだった。 今から考えれば
不思議なことだ。あの頃ですと主人公は「サクベイ」とか「コウノ
スケ」とか「ユリ」とか「キク」とかそういう人たちが活躍する時代
だった。そんな時代に一助、二助、三五郎なんて名前で小説を
書こうという発想自体非常に新しい。

4、尾崎翠における映画と表現主義の影響

 じゃあ、尾崎戻翠はどこからそれを思いついたのか?ぼく自
身が思いつくのは明らかに映画だと思います。映画と演劇 ― 
あの頃、昭和の初め頃に、すごい巻数の戯曲全集が出ました。
大ベストセラーだったんですが、あの時代の新しい戯曲 ・ ドラ
マが ― 今考えるとよくこんなもの翻訳したな、玉石混淆 ( 石
の方が多かったんですが) とんでもない新しいものを翻訳して
いる。彼女はそれを読んでいたらしい。そして戯曲以上に彼女
が新しい表現を作り出したのは映画だろうと思います。
 翠が鳥取へ帰ってから新聞に発表した「杖と帽子と偏執狂者
 ― チャップリンの二つの作品について 」 ( 昭和8年 、1933 )
という大変面白いエッセーがあります。現代の映画評論家が現
代の雑誌に載せてもおかしくない程斬新です。 ユニークで切り
口が面白くて語り方が面白い。
 しかも、それは大多数は娯楽です。 チャップリンだって、誰も
あの頃こんなにも斬新なものとは思わなかった。しかし尾崎翠
はそこに、非常に新しい表現を見つけた。あの頃は無声映画で、
トーキーに移る頃 。 映像はもちろんモノクロ。当時の映画をご
覧になったことのある方は映画の作り方が非常に違うと思われ
ることでしょう。
 昭和八年よりも少し前書いたエッセーで彼女は「親愛なるシ
ュテルンハイム様」という呼びかけをして、「 表現派の鎧をま
とわないシュテルンハイム様」と書いている。 シュテルンハイ
ムとはドイツの作家・劇作家で彼は「ホーゼ (ズボンとかパン
ツですが)」という映画を作ってるんですが、 彼女はそれもち
ゃんと見ていて 「ホーゼ、絹ズロースレース付き」 なんて言っ
ている。ズロースなんて言葉、もう若い人はご存知ないでしょ
うが、我々はズロースと聞いただけで欲情したものですが、夢
のある言葉ですね。絹ズロースが干してあるのを見ただけでド
キドキした。
 作品はホーゼが勝手に歩き出す。で絹ズロースと恋愛をする。
非常に荒唐無稽と言えば荒唐無稽な面白い劇を書いた。劇です
から文字通りのズロースとかズボンが動くわけはないから、衣
装でもって演じさせたようですけど、物の恋愛が人間喜劇を引
き起こす。シュテルンハイムはドイツの表現主義の代表的な人
です。この当時に彼女がシュテルンハイムを取り上げて書いて
いるなんて。 ドイツ文学者も取り上げなかった、 とにかく訳が
分からないですから、 そういうものの新しさを 全く分からなか
った。それを彼女はエッセーの中でかなり長く取り上げて、絹
ズロースがホーゼに愛を感じる、そうするとニキビ氏があれは
変態だなんて言い出す ― と、よくもこんなものが書けたもの
です。
 別のエッセー 「 捧ぐる言葉」 ではカイゼル ( ゲオルク ・ カイ
ザー、シュテルンハイムと同時代のドイツの劇作家 ) に対する
称賛。誰もが娯楽としてしか見ていなかった時代に、 表現派と
いう世界的に流行した表現の形に注目して、自分だけの言葉で
キチッと書いている。彼女の小説は決して思いつきや熱中状態
から偶然生まれたものではなく、着実に当時の表現の一番新し
い形を学びそれを小説に取り込んだ。明らかにそれは地道な勉
強と、自分の発想に対する補強 ― 自分の面白いと思うことを
具体的な他の作品で確かめる作業 ― をやった。
 その頃の表現主義の映画にはよく「ドッペルゲンゲル=二重
人格が」出てくる。 「 カリガリ博士 」 という名作 、 一九一〇年
代、 二〇年代にドイツで作られた作品です。ある人物のドッペ
ルゲンゲル (もう一人の自分)が犯罪を犯して、自分が自分を
追いかける。一種の妄想を取り込んで、奇妙な雰囲気を作って
街を取り込んでゆく。 カリガリ博士 という一種の魔術師が主人
公。あの頃第一次世界大戦の社会を覆っていた不安感を映画
にするとこんなものになるんじゃないか、という映画です。
 カイゼルの 「夜中から朝まで」 ― これも名作映画によく挙
げられるんですが ― これをぼくは映画博物館で見たんだけれ
ど、普通の映画の舞台は山あり川あり家あり街がありといった
具体的なものですが、この映画は非常に抽象化してあって、背
後の意匠は抽象的な ― 現代で言えばアートデザイン化され
たもので背景を作っている。 映画でありながら舞台を見ている
ような、 非常に抽象化された人物と抽象化された意匠。それか
らセリフが非常に切れ切れになっている。まあ言えば 「 叫び 」
に当たるような、そういう表現を基調に作られている。
 尾崎翠が表現派のカイゼルあるいはシュテルンハイムという
当時誰も取り上げなかった人を取り上げて表現の面白さを書い
たのは、明らかに自分が書きたい表現したいと思ったものと非
常に重なり合う。これからの世界は、自分が表現したいものは、
旧来の小説の男と女が抒情綿々たる情愛を繰り広げるようなド
ラマではなく、人間の中にある無意識な、分裂する、当人の知
らないようなドラマをこそ 小説のテーマとしたい。  だから誰も
書かなかったような小説を書いたわけです。今でも読むと戸惑
いを覚えるのは、しかし決して古いと思わないのは、我々が日
常ほとんど無意識に過ごしてきちんと考えようとはしない 、 そ
ういう世界が書かれているからではないだろうか?
 今日もこの後コケのシンポジウムが問題としますけれど、あ
あいう生物を取り上げること自体非常に面白い。コケというも
のは日本では南方熊楠が粘菌ということで扱っていますが、生
命の原初的な形ですね。生き物と死物のちょうどスレスレなと
ころにいて奇妙な生命力を持っている。どんな状況でも生き抜
いたり、あるいはある瞬間に一斉に消えてしまう。そういう生
物の面白さと、ズボンとズロースが恋愛するというような表現
主義者が取り上げたテーマとも似通っている。

 この尾崎翠フォーラムのような会は非常に地味な会で、 ぼく
はこのような会が一〇回も続いたことは努力なさった方々の成
果だと思います。尾崎翠が非常にマイナーな作家であるにもか
かわらず。 尾崎翠の新しさはこれから益々重要になってくると
思います。 こういう会が一〇回も続き、 これからも続くだろう
し、その度ごとに新しい尾崎翠がよみがえって来るだろうと思
っています。 そして報告集として印刷されるものとして 残して
おくことは非常に大切だと思います。
                     
  (記録・西尾雄二)

 

※ 講演の詳細は 『尾崎翠フォーラム・in・鳥取2010報告集』
(12月上旬
刊行)に収録します。報告集の問合せと注文は以
下まで。

       manager@osaki-midori.gr.jp