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今年のフォーラム

Osaki Midori Forum in Tottori

           
          小谷真理さんの講演抄録

「風変わりな恋愛小説
     『第七官界彷徨』を読むために」

           SF&ファンタジー評論家  小谷真理

 

はじめに

 鳥取にはわたし初めてまいりました。昨日は飛行機から海を見まして、
本当に綺麗な翡翠のような色で、ああ、尾崎翠の故郷を訪れているんだ
な、と感動しました。今までは、尾崎翠のご文章を読んだり、映画を見
たりしてきたんですけども、彼女の出身地の鳥取ということをあまり考
えないできたと思うんです。ところが、昨日翠さんにちなんだ文学ツァ
ーに参加しまして、生まれたお寺とか…お寺で生まれたってすごいです
よね……おたずねして、小学校に行って裏山を仰ぎ見たり、学校の先生
をしていたときに住んでいたところを訪ね歩いてみまして、たいへんに
教育的ないい環境でお育ちになったんだなっていうのがよくわかりまし
た。彼女、わたしの祖父母と同世代なんです。でも、祖父母から聞いた
農家の昔話からすると、翠さんの文化的な高さは、あの時代には珍しい
ことだったのかもしれません。やはり女の方がモノを書きたいとか、小
説を書きたいって志すのは、発想自体がむずかしかった時代でしょうし。
  翠さんの小説を読んでると、普通にかわいらしい部分、つまり少女的
なロマンティックな部分と、論理的で知的な、つまり昔で言うところの
少年的な部分が混ざっている感じがするんですね。それが魅力だと考え
ているんですが、そういうのが生まれてくる背景というのは育った環境
が関係してたんだなということがなんとなく察せられて、ずいぶん昨日
は発見が多かったんです。それから岩美町(岩井温泉)に参りまして、
湯船が深いと聞いて、どうしてそこだけ湯船が深い温泉なのかなとちょ
っと不思議におもったんですけど、夏目漱石の『坊ちゃん』みたいに湯
船で泳いではいけないという規則はここにはないので、泳ぐのはOKな
のかなとか思ったり……いや、そんな話をしてる場合ではありませんね

1 ファンタジー作家としての尾崎翠

  尾崎翠の小説を、現実的な話だと…恋愛小説として読めるということ
を、多くの評論家の方もおっしゃっていますが、私のほうは、尾崎翠さ
んの小説をファンタジー作家だという風に考えていました。ですから逆
に、リアリズムの作家だと言われるとちょっと違和感があって、この人、
本音はファンタジー作家なんじゃないかなと思うんです。一番近いイメ
ージはやっぱり少女マンガ家の二十四年組。昭和二十四年に生まれた少
女漫画家たちがいまして、萩尾望都、竹宮恵子、大島弓子……非常に理
知的な少年っぽい骨格と女の子らしい叙情的な感性が混ざったような漫
画を書いている…そういう革新的な素敵な方たちですが、この方たちの
感覚にちょっと似ています。そんなわけで今日はファンタジー作家とし
ての尾崎翠さんていうのをちょっと考えてみましょう。
  尾崎さんの本を読んでいると「女らしさってなんだろう。女性として
生きることってどういうことだろう」と問いかけているような気がしま
す。彼女にとって、女性性について考えることは大きなテーマになって
いたんじゃないかな、と。現実について考えるとき、どうしても女性で
あることがついてまわるわけですが、ひょっとすると世間でまかり通っ
ている女らしさに対して、ある種の違和感を持っていたんじゃないのか
な、と思うんですね。
  尾崎さんの話を読んで驚くのは、非常に知的で論理的な部分にたいそ
うこだわっていることです。たとえば、科学者や医者が登場してきてい
ろんな説を開陳するんですね。そういうふうに世界を科学的に捉えてい
こうとするある種の論理性は……これは昔は男性的なものだという風に
言われていました。
  尾崎さんの話、『アップルパイの午後』にありますように……今晩私
もアップルパイを食べられるそうですごくうれしいんですが……アップ
ルパイのような、名前をきいただけでちょっと贅沢で可愛らしい、甘い
お菓子を楽しむことは結構少女っぽいメルヘンチックな感覚ではありま
すが、とても知的な部分と、可愛い部分が細部に渡ってしっかり書かれ
ている。いわば、男らしさと女らしさとが混ざり合っているのだな、と。
  感性が非常に豊かで、同時に少年的な知性を持つ尾崎翠が、ロマンス、
つまり恋愛を……男の人と女の人との間の恋を、慕いあうようなせつな
さや苦しみを……恋をすると苦しいですからね……それをどんな風に捉
えていたのかということがちょっと気になっています。

2 フィオナ・マクラウドとヰリアム・シャープ

  さて、昭和八年、一九三二年に彼女は『こほろぎ嬢』という非常に不
思議なロマンスを書いています。ヰリアム・シャープとフィオナ・マク
ラウド、この二人の人物についてのお話が出てくるんですね。今、手元
に本を持っております。これは今<ちくま日本文学>のなかに収録された
もので、手に入りやすくなった文庫本です。この本、まず『こほろぎ嬢』
の話がトップに出てきます。その中に出てくるフィオナ・マクラウドは、
実は謎の女性作家と言われていたかたですね。ファンタジー界では非常
に有名な作家です。
  フィオナ・マクラウドは、古いケルト的な伝説をもとにお話を書きまし
た。フィオナ・マクラウドは、スコットランドの作家で、もとになった
伝説はスコティッシュ・ケルトって言うんですけども。十九世紀から二
十世紀の世紀転換期の十年くらいが活躍時期でした。当時、フィオナ・
マクラウドはヰリアム・シャープさんという男性作家の友だちというこ
とになっていました。世界帝国となっていた英国の圧政の中で、スコッ
ランドやアイルランドが自分たちの先祖であるケルトの文化を復興させ
ようという文化的な活動がありました。それがケルティック・ルネッサ
ンスという文化運動なのですが、その活動のサークルに、シャープは詩
人として加わっていました。
  そこに、ある日、フィオナ・マクラウドという非常に美しい伝説を書
く女性が現れた。皆、色めきたって会わせろ会わせろと言うんですね。
どんなひとかと聞かれれば、きれいな人だよとか小説の通りの非常にた
おやかな方だというような噂を流すんですね。で、これは彼女から来た
手紙だとかいって…それは嘘なんですけど、見せるんですよ。それはシ
ャープの従妹が代わりに女文字で書いたものなんですが、ほんとにこの
フィオナ・マクラウドという人がいると思い込んだんですね。で、ヰリ
アム・シャープという人は、一九〇五年に亡くなってしまいました。亡
くなってからしばらく経ってフィオナ・マクラウドが実はヰリアム・シ
ャープのペンネームだったということがわかるんですね。今でも知らな
い人はほんとにこういう女性の作家がいたとみんな信じちゃってる。で
も実際には男の方なんです。で、『こほろぎ嬢』という作品は、尾崎翠
さんが、この二人の人物をどういう風にみたのかが想像できて面白い。
  ここに『かなしき女王』というフィオナ・マクラウドの書いた小説が
あります。これも今ちくま文庫で短編集が出ていますので、すぐお読み
になれるでしょう。表題作は、ケルト神話の女戦士のスカァアという非
常に強い女性と、彼女に率いられた女軍団のお話です。尾崎さんを含む
われわれ日本人とって、とても幸運だったのは、これを松村みね子さん
の訳による美しい日本語で読めたことです。
  松村みね子さんの訳した『かなしき女王』を尾崎翠さんはたぶん感動
しながら読んでいたとおもうんですね。フィオナ・マクラウド、どんな
人だろうと。もっと読みたいと。尾崎さんは結構はまっちゃって、図書
館とかいろんなところ廻って、このヰリアム・シャープがどんな人なの
か知りたいと探し廻ってる様子がエッセイに出てくるんですけども、当
時はやはり限られた文献の中でやってたでしょうから、さぞかしわかり
にくかったことでしょう。
  まあ、心の中に男性自身の性とはまったく反対の性の人物が宿って、
彼女が出てきたがる。それに形を与えると。自分の心の中にある種自分
とは違う性の人間ができてしまってひとつの肉体の中に二人の人物が棲
んでいる、そういうことが考えられるのかなと。まるでそれ自体ファン
タジー文学のようなことが、実際に起きてしまったわけですね。そうい
う文学的な一種のトランスヴェスタイト(異裝)やドッぺルゲンガーの亜
種とも考えられる。それから、自分の理想の女性を自分が創るというこ
とが、実は十九世紀には考え方としてありました。フランスではヴィリ
エ・ド・リラダンという作家が、理想の女性をロボットとして作るとい
う『未来のイヴ』というSFで書いている。ひょっとしたらヰリアム・シ
ャープという人は理想の女性を自分の手で創っちゃったかもしれないん
ですね。
  では、尾崎さんはどういう風に考えていたか。フィオナ・マクラウド
の作品というのはやはり強い女王様が出てきて、そして男を愛するんだ
けれども充たされない。片思いの話なんですね。すれ違いの話というか。
まず年齢的なすれ違いがありました。とくに女戦士スカァアという女王
様は、宮廷でも一種のアマゾネス軍団のなかに住んでいる人なんですが、
もともとその宮廷は陰鬱で暗いんですね。そこには、女王の未来にはひ
ょっとしたら大きな帝国の影が忍び寄ってきて自分たちも滅びるかもし
れない…というそういう滅びの美学があるように見える。にもかかわら
ずこのうえもなく、強い戦士として描かれてます。一種フェミニズム的
な感覚が見られる。ただし、そういう強い女性の神話世界でさえ、ヰリ
アム・シャープという男性の手によって創られているんです。だから、
男の世界の中に女の姿が閉じ込められている、とそう言っているように
思う。
  たしかに、尾崎翠さんの恋愛小説では、男女のすれ違いを書いていて、
結ばれてハッピーで子どもがいて…とかそういう話じゃなくて、どこか
コミカルなすれ違い、あるいは苦しいすれ違いという、そういう一種の
片恋を書いていることが多い気がします。そして、やはり結ばれない、
ということですね。片恋的な気持ちというのは何か非常に空想的に相手
を想うことで、その想いがひたすら募っていきます。その想いがロマン
ティックに、あるいはコミカルに描かれているというわけですね。
というわけで『こほろぎ嬢』というのは、一種の男女のすれ違いという
のを一人の男の創った仮想の人格との間に見立てていく。一種の女性仮
装の人格というのが出てくるのですが、それを生み出した男性との間の
つながりを、すれ違いの片恋のロマンと捉えていたのではないでしょう
か。そこに男と女の恋愛の本質のようなものを見てたんじゃないかと…
…。彼女が面白いのは、そういう風にヰリアム・シャープとフィオナ・
マクロウドとの関係を、ロマンチックだな、ロマンチックだな、と言い
ながら、でも私は日々のパンに飢えているからと、ちょっと引いたよう
な、もうちょっと余裕のある醒めた目でみている。その結果仕上がった
のが『こほろぎ嬢』だとおもうんです。
  また、先ほど言いましたけど、ヰリアム・シャープの話は、ギリシャ
神話の『ピグマリオン』の伝説を彷彿とさせるんですね。これはオヴィ
ディウスの『変身物語』の中に出てくる逸話です。一種の人造美女物語
といってもいい。ピグマリオンは非常に才能のある彫刻家だったんです
ね。ある日非常に美しい女の像をつくる。で、その女の彫刻があまりに
美しくて恋をしてしまう。たいへん美しい話だとおもうんですが、実は
この神話、最近フェミニスト批評では結構手厳しいことを言われている
んですね。それはですね。やはり男が女を創る、なんかこう男が偉くて
女を創るのかといったような姿勢がある、と。つまりやはり何かを創造
するということに関して男の方が優位であるという深層意識があるんじ
ゃないかと指摘しているんです。創るのはあくまで男で、創られるのは
女だと。
  そういう男にとっての理想の女性像が男の人自身の想像の中にいて、だ
からヰリアム・シャープとフィオナ・マクラウドがもし恋人同士だとす
ると、シャープが理想の女性を創りあげて、マクラウドという女性作家
になってしまったという一種のピグマリオン的な話に重ね合わせられる
んじゃないか。それをこの『こほろぎ嬢』は書いてたんじゃないか。そ
うすると男の理想というのは現実の女じゃなくてあくまで男の空想の中
にあるんだと、ファンタジーの中にあるんだということになります。

3 男性的リアリズムと女性的六感文学を超えて

  おそらく尾崎翠はそういう男の人から見た恋愛観を理解していたとお
もうんですね。で、頭のいい人だったからそういうのをみてどういう風
に克服しようかと。創造者の立場に立つ男性の世界観で回っているなか
で、じゃ創られる側の女性の立場から世界を見たらどうなるのかと考え
たと思うんです。お前たちは男の言うことを聞きなさいといわれている
女性たちの中から、自分の何かを創りたいと願う女性創造者が出てきた
場合に、これは難しいとおもうんですよね。世の中全部男の人が創って
いるよということがあたりまえのようになっているところで、どうやっ
て自分独自の世界を創ったらいいんだろうというわけですから。それを
彼女は日々考えていたんじゃないか。
  尾崎翠が日本近代文学の他の作家が書いたものを、恋愛小説も含めて
読んでいったとき、そこには男性のちょっとピグマリオン的な感じが漂
っていて、その中でどうやって女性が恋愛小説を書いていったらいいの
か、という難問につきあたっていたのではないでしょうか。これは、結
構作家としては深刻な問題だとおもいます。そこで発想されたのが『第
七官界』ということなんじゃないかな、というのが私の仮説なんですけ
ども…。昭和八年、一九三三年の作品なんですけども……これはどうな
んでしょう。この話は一種の恋愛小説のように思えるということを専門
家の方がおっしゃっています。にもかかわらず、直接的にストレートに
そのことを書いてないんですね。この人が好き、この人への想いをどう
しましょう、といったふうに具体的に書いていない、ほんとうにさらっ
としています。シチュエーションは、こうです。同じ屋根の下に突然、
兄妹と従兄妹が一緒に同居しているという設定でありまして……うらや
ましいですね(笑)
  で、そのタイトルにあがっている『第七官界』っていったいなんだろ
うってことで、調べても『第七官界』って出てきませんから、本当に尾
崎翠さんという人がオリジナルに創ったことばだとおもうんですね。じ
ゃあ第一官とか第二官とか官ってなんだろうと考えまして、また再び辞
書に頼るんですけども、人間の五官、目とか耳とか鼻、舌、皮膚、これ
人間の五官というんですね。
  たとえばリアリズムで描かれていることの多くは、この感覚器官を使
って書いているわけですね。現実の事物を、私たちは、この器官で、見
たり聞いたり匂いを嗅いだり味わったり、それから皮膚の感覚ですね、
それで体験する。五官から発達した五感、器官の官から感じる感に変わ
りますけども、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚と、人間のこういう感覚
で外の情報を現実感として脳内で組み立てている。そして現実とはこう
いうものだという風に理解している。それをもって、小説は書かれてい
るんですね。これがリアリズムとすると、尾崎さんはひょっとすると、
リアリズムっていうのは五官文学っていうふうにとらえていたんじゃな
いかな、と思います。
  一方、私の活動分野であるファンタジーというジャンルの、まさに
「ファンタジー」という感覚、これ空想の感覚です。ところがですね。
ファンタジーの感覚を表すのによく用いられるのは、第六感っていうこ
とばです。「女の第六感」って言いますよね。五感のほかにあるとされ
ているあるとされている感覚ーーまあSFだったら超能力といった方が
いいかもしれませんし、魔法といってもいいかもしれません。超常能力
というのものですね。だからファンタジーは、第六感文学と呼べるかも
しれません。第六感を辞書で引きますと「五感の他にあるとされている
感覚で、鋭く物事の本質をつかむ心の働き」と出ています。そうすると
五感及び第六感というのは実はもう存在している。
  一般に、こういうリアリズムとファンタジーというジャンル観は、実
はジェンダー化されています。つまり男らしさとか女らしさとか結びつ
けられていることが多いんですね。特にファンタジーは、さっき女の第
六感という言い方をしましたが、やはり女の人の方が現実的というより
はもっと幻想に近くて不思議な能力を持っていて、それで空想的である
という理解があります。リアリズムの方はやはり男性の方が現実をちゃ
んとみている、リアリズムは非常に男性的であるという言われ方をする
んですね。この根底にあるのはおそらく、女性という存在は男性にとっ
て非常にファンタスティックなもので、非常に幻想的に見えている、と
いう一般的な通念でしょう。そしてやはり文壇とか文学というのは男性
が価値を決めていくことが多いので、そうすると女性がいかにも幻想的
な存在のように思われてしまう。これはですね。たとえば女の人が天使
の羽をつけてふわふわ浮いているとかそういうことじゃない。男にとっ
て女ってこんなもんだろうとおもっていることが、女性の現実とかなり
食い違っていることが多い。男の人にとって文字通り女性が幻想的な存
在として捉えられている、という現実があるんです。
  何か二つのものが対立的にあってですね。そして片方が男性的で、片
方が女性的って捉えてしまう、これは人が性にものを喩えて考えるとい
う一つのやり方なんですね。ものの捉え方です。そういうのをジェンダ
ー化といいます。そして、尾崎さんは、それを克服するために、『第七
官』という架空の感覚器官を作り上げたのではないか、思うわけです。
男性的リアリズム、女性的第六感文学という、ジェンダー化を、批評的
に見て行く、と。そういう批評的な姿勢を含んだ文学を彼女は書きたか
ったのではないでしょうか。

4 『第七官界彷徨』の登場人物

  で、具体的にどうなんだろうそのお話は、ってことで、『第七官界』
の彷徨につきあってみると、まず登場人物がたくさんでてきます。ここ
でキャラを中心に、ロマンスに着目して読んでいくと、まず小野一助の
場合、これは精神科医の恋ですね。患者とお医者さんの恋です。美しき
女性患者がいると…。一助と柳という精神科医が患者の取り合いをする
んですね。やはり、心理学とか精神分析の話というのは、この頃結構活
発に入ってきていたようです。フロイトの書いたものが日本に入ってき
たんですね。尾崎さんはどれほどフロイトの関係、あるいは心理学とか
精神分析についてよく知っていたのか、私はよくわからないのでこれは
専門家の方に聞いてみたいなと思うんですけれども。
  おもしろいことに、フロイトには、恋愛に非常によく似た、一種の男
女間の愛憎劇を思わせるようなエピソードがあります。彼にはふたり重
要な女性患者がいました。一人はアンナ・O、ベルタ・パッテンハイム
という女性なんですけれども、フロイトの先生、ブロイアーという博士
がいたんですが、この博士の患者だったんですね。ヒステリー患者でし
た。フロイトの患者ではもうひとりドラという少女がいました。「ドラ
の症例」は有名なので、ご存知のかたがいらっしゃるかもしれません。
それを読んでいると、ドラとフロイトとの間になんだか恋愛にちかい傷
つけ合いがあったように見えます。
  そういう精神分析学をめぐるエピソードを尾崎さんが知っていたのか
どうかはわからないんですが、ただしひょっとしたら精神科医の小野一
助を描いていく背景には心理学をめぐる恋愛の問題に着目していたのか
もしれないなあとおもうのですが、どうでしょうか。注意したいのは、
この恋愛は、視覚的な描き方をされています。どういうことかというと
一助が患者をじっと見つめて観察をするんですね。その観察をこの小説
は書いている。観て書くという、一種視覚的な言語を使って、恋が記述
されていくんですね。
  じゃ小野二助の場合はどうか。失恋しました。現実的な人間の恋に背
を向けます。もう怖い。そして僕は植物の恋愛を仕組んで観察しますと。
……なんかオタク的というか現実のコミュニケーションがうまくいかな
くて仮想、アニメの世界にいっちゃったりする「萌え」をかなり先取り
してる人物かなとおもいますけど、ただし、尾崎翠は痛烈に批判するの
でなくて、小野二助が作る世界を可愛く書いてるんですね。この小野二
助の場合はどんな現象が出てくるのかなと注意深くみていくと、植物を
観察したり排泄物を肥やしに使うというので匂いの話がいっぱい出てく
るんですよね。それからできたものを食べる。お浸しにしたりして食べ
るんです。味覚的な話も出てくるんですね。二助の場合は非常にカラフ
ルな言葉の使い方をしています。
  それでは、三五郎さんの場合。彼は誰よりも魅力全開。なんか女を騙
してるんじゃないかと思われてならない人物です。途中、首巻を買って
やれよお前とかつっこみたくなったんですが、まあ女からお金を巻き上
げる、そして自分の楽しみに遣う。そいで女性の方は貢いじゃう、と。
ただし、たぶんこの人と恋愛すると楽しいだろうなって思えるところが
この男にはあるんですね。ちょっと粋なプレイボーイみたいなところが
あるんです。これは二人で歌を歌ったりとかけっこう聴覚的な話が出て
くる。それから味覚ですね。酸っぱいレモンをもいで食べる話とか、け
っこう味覚的な話が出てきて、こういう男性と恋愛するとたいへんだけ
ど、楽しいだろうなと腑に落ちるような、ちょっとダメンズなんですけ
ど、まあダメな子ほどかわいいかなっていう感じの書き方をしています。
  柳さん、これは横から入ってくる人なんですが、沈黙しているがゆえ
にいわくありげに見える女が好きっていうのが明らかにわかるタイプ。
最初は女性患者に夢中なんですけど一助に負けてしまって、それで次に
町子に惹かれると。なんで町子に惹かれたのか。ひょっとするとこの人
は衝動的な女の人が好きなんじゃないかと思われるわけです。謎めいて
みえるヒステリー患者とか鬱の女性とか。何を考えているかわからない
けどひょっとしたら男の考えもしないようなものすごいことを考えてい
るんじゃないかしらと思われるような女性に心惹かれているようです。
町子自身も何か創造的な詩を書こうというふうに、非常にクリエイティ
ブなひとですから。そういう女の人が、男の人以上の何か神秘的なこと、
あるいはすごいことを言ったりやったりしてしまうということに、非常
に興味があるんですね。これはけっこうインテリの方に多いタイプかな。
  赤い縮れ毛の町子、これは佐田に髪を切られちゃうんですね。この髪
っていうのがけっこうポイントになっていて、赤い縮れ髪、これ日本人
じゃ珍しいとおもうんですよね。魅力的な日本人女性は普通黒髪直毛だ
ろう、ストレートパーマだろうって思うんですけど、町子の場合はなぜ
か赤い髪なんですね。実はこれは西洋風の考え方でヒントがあって先ほ
ど言ったフィオナ・マクラウドの書いた女王さん、強くて怖い女王さん
が出てきましたが、あの人赤い髪なんですね。それから他のマクラウド
が書いたファンタジーの中にも真っ赤な髪の女が出てきます。私自身も
この赤い髪というのは結構こだわりがあってですね。ファンタジーの評
論家なので『ハリーポッター』について分析したことがありますが、ハ
リーポッターにも赤い髪の話は出てきます。
  シャーロック・ホームズの中にも赤毛連盟、という世にも怪しい秘密
結社が出てきました。赤毛連盟というだけで、当時の人々は、それが魔
法じみて逸脱した存在だという共通認識があったのです。それくらい赤
毛というのは魔女とか魔術とか魔術師とかそういう世界と関係があるよ
うに言われていた。町子はおそらく女性的な、非常に魔力がある女性、
もちろん、潜在的にですね。そういう風に描かれている。だけどそうい
う女の魔力は佐田によって切られちゃう。佐田と町子は、髪の毛をめぐ
っていろんなやり取りがかわされます。タオルを巻いたりとか、髪を切
られちゃう話の背景には、やはり女子の魔力を恋愛の力で男が奪おうと
いるかのような、ほとんど男女の恋愛の力関係の話に見えてきます。二
人の間の恋愛関係が、直接的な描写になってないんですが、髪をめぐっ
ていろいろと力関係が働いているんだな、と思わせるんですね。
  こういう男と女の関係の話のほかに、尾崎翠の話の中には、女と女の
関係がちょこっと描かれています。たとえば祖母と町子の間について、
あるいは町子と隣の少女の間について。これは男達によって隔てられて
しまうんですけども何か女同士ふれあう様子が描かれたり、祖母から町
子に、この髪はこういう風にするといいのよと言われてクスリを貰った
りとかそうやって町子の髪ーーつまり魔力の象徴をめぐって、それを引
っ込めておきなさいと示唆されるような話が出てきたり、隣に住んでる
少女との間にある種のやり取りがあったり。この女と女の関係も、おも
しろいところです。

5 少女マンガと尾崎翠

  最後に時代を超える尾崎翠ということでーー傑作のファンタジーとい
うのはほんとうに時代を超えますから、ファンタジーの手法を使った尾
崎翠は、ポップカルチャーの現在を先取りしていたのだと、ワタシは言
いたいのです(笑)。
  尾崎翠さんあまり外に出なかったと昨日伺いました。有名な夏目漱石
先生はロンドン留学中に引越しを転々となさり、英国があまり肌にあわ
なくて、けっこう引きこもっていらっしゃったそうです。でも、英国の
ファンタジーである、アーサー王伝説をベースにした「薤露行」や倫敦
塔についての短篇は書いたわけですよね。同じように、尾崎翠さんも東
京にいらっしゃったときには、畳に跡が残るほど部屋にいたという話を
昨日エピソードで伺って非常に驚きました。現代でいうところの引きこ
もり作家なのかなと一瞬思いました。でも、引きこもり系は優れたクリ
エイティビティでは世界に冠たるアニメ文化の担い手になっておられる
方も少なくなく、尾崎翠には、そんな現代に通じる何かがあるかなとい
う気がします。
  繰り返しになりますが、女性的な感覚は非常に鋭いいっぽう、でも西
洋ふうの論理的な思考法はしっかり持っていた。とても知的な方だなと
いう風におもいます。こういう時代を超える尾崎さんの作品の魅力とい
うのを見ていきますと私はやはり少女マンガ的な思索力と共通するとこ
ろがあるなという気がします。少女マンガも少女小説から派生してきて
いるんですね。女の子向けに書かれた女性の文化として今いろんな方が
指摘してますけど、本当に才能のある方が多い。感覚的でだれでもスル
ッと読める表現であるにも関わらず、そこには深い世界が広がっていま
す。宇宙に行ったり、宇宙的な目でみたり、神話的な世界であったり、
経済社会を鋭く批判していたり、男性社会のお約束みたいなものを茶化
したりパロディ化したりしながら、一方で女性の持つ能力ってものがど
んなものかということを実によく考えているんですね。
  先日川崎市民ミュージアムで、『少女マンガパワー! つよく、やさ
しく、うつくしく』という展覧会がありました。他のジャンルでは見れ
ないなとおもうぐらい美しさを持っているのがわかる。それからお話も
すごく面白く、女性のライフスタイルや芸術性、美意識、心の問題や悩
み、喜びを実に多彩に描いてるな、と感動しました。そういう少女マン
ガの持っている思索性は、尾崎翠の世界と共通点があるように思います。
すごく不思議な人ですね。尾崎さんが創ってた世界と現代の作家たちの
間で、時代を超えて会話が成立しているような気がします。

                        (記録・藍川多恵子/抄録・土井淑平)

※ フォーラムの詳細は 『尾崎翠フォーラム・in・鳥取2008報告集』
(12月10
刊行)に収録します。報告集の問合せと注文は以下まで。

       manager@osaki-midori.gr.jp