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今年のフォーラム

Osaki Midori Forum in Tottori

           
          寺田 操 講演抄録

「尾崎翠と金子みすゞ
     ― 都市文学とモダニズム」

          詩人・文芸評論家  寺田 操

 

T 尾崎翠(1896〜1971)・金子みすゞ(1903〜1930)
  の同時代性

 鳥取県岩美出身の作家・尾崎翠と山口県仙崎出身の童謡詩人・
金子みすゞ……一体何の関連があるのかと不思議に思うかたもあ
るでしょう。年齢は尾崎翠の方が7歳上ですが、 大正から昭和初
期の都市モダニズムの同時代を生き、ジャンルは違いますが旺盛
な文学活動をしていた二人でした。二人が同時代を生きた表現者
であるということを気づかれる方は多くはないと思います。
 1930年は金子みすゞが自死した年で、その数年後、 鳥取に帰っ
た尾崎翠さんの事実上の断筆となりました。 昭和恐慌とモダニズ
ムが同居する危うい時代です。世の中の出来事と尾崎翠さんや金
子みすゞさんの出来事、そして同時代の文学は、 無関係ではあり
ません。 この時代、 彼女たちが直接出会う劇的な場面こそありま
せんが、同時代の空気を吸い、文学の出発点から創作活動の断念
まで、意外と文学活動の背景には共通することが多いのです。 二
人の共通項を探してみますと、 7つほどの項目が浮かびあがって
きます。

1、海辺の風景と磯の匂い=風土が文学の源泉。

 海辺の風景と磯の匂いは、二人の感性を育んだ母胎です。風土
は彼女たちの文学の源泉なのです。翠さんには岩井温泉、鳥取砂
丘、網代漁港、浦富海岸から思い起こされた作品があり、みすゞさ
んには、仙崎漁港や青海島を借景とした童謡詩が多くあります。と
いっても、単に自然の風景をあるがまゝに描写したというわけでな
く、彼女たちの脳内(頭の中)でイメージされ、再構成された海辺の
風景なのです。
 翠さんの住んだ鳥取県から日本海側を西へと下れば、山口県仙
崎へとたどりつきます。彼女たちは山陰地方の「海辺の妖精」たち
なのです。 また海辺の地方特有のエロスとタナトスという生命論
理、あるいは、仏教哲学的な感覚世界も備えていました。2006年
の尾崎翠フォーラムで、西法寺の住職・山名法道氏が講演で話さ
れた「唯識思想と第七官界」が思い出されます。 山名氏は1〜6を
表層心理、 7〜8 を深層心理としてとらえる8識からなる唯識世界
と翠さんの感覚世界について語られました。 尾崎翠さんも金子み
すゞさんも、 表層心理と深層心理の構造で作品を展開しているこ
とが魅力のひとつなのです。

2、古里からモダン都市へと越境・移動する少女。

 大正から昭和初期の時代の特徴の一つとして、モダン都市には
人やモノや情報が、激しいスピードで動いていったという現象があ
ります。
 金子みすゞさんは3歳で父を亡くし、遺族は仙崎漁港の町で本屋
を営んでいました。母の再婚先である下関の上山文英堂に移動し
てきたのは1923(大正12)です。 モダン都市下関で、 商品館の書
店の支店に勤めながら「童話」「婦人画報」「金の星」などに童謡詩
を投稿しはじめました。西條八十、北原白秋らの童謡詩の全盛時
代でした。
 尾崎翠さんは、女学生だった12歳の時に教師だった父が死去。
卒業後は代用教員をしながら「文章世界」などに投稿。 1919年(
大正8)、日本女子大入学で東京へと移動します。
 金子みすゞさんも尾崎翠さんも父親を早くに亡くしていましたが、
文学的な環境には恵まれていました。そして彼女たちの移動が単
に物理的なものでなかったのは、表現したいという「文学」 への熱
い志があったからでした。だから、移動するということは、 AからB
の地点に移り住むということだけではなく、ここから、向うへ越境す
ることであると同時に、異質な世界と出会い、表現世界をジャンプ
させる契機ともなったのです。

3、雑誌メディアが大きなマーケットを持っていた少女文化時代
  の雑誌投稿者。

 尾崎翠さんが東京へと移動した前年1918年は、「赤い鳥」や「改
造」が創刊されていました。一般家庭にも雑誌メディアが入りこみ、
読者投稿欄はとりわけ人気がありました。「書いてみたい」と思う少
年少女たちもいたでしょう。掲載された作品を見て「これなら私にも
書ける」と思うこともあったでしょう。 書くという潜在能力を触発した
のが雑誌の投稿欄でした。童謡詩の黄金時代に彗星のように現れ
た金子みすゞさんは、少年少女たちの憧れの的でしたが、それでも
幻の童謡詩人と呼ばれてきた文学史的事情がありました。
 尾崎翠さんも長いあいだ幻の女性作家と言われてきましたが、
1914〜16年にかけて投稿していた雑誌「文章世界」では、同年生
まれの吉屋信子(1896〜1973)と才能を競いあいました。この「文
章世界」には、後に新感覚派を立ち上げる若き日の横光利一や、
「雪之丞変化」で有名な流行作家の三上於兎吉も投稿の常連だっ
たのです。ちなみに、この「文章世界」の主筆は自然主義文学の田
山花袋でした。
 尾崎翠さんは、大学入学前後には 「少女世界」 のレギュラー執
筆者の一人になり、24歳のときには中編小説「無風帯から」が「新
潮」に掲載され文壇に登場していましたから、まったくの無名という
わけではなかったのです。ただ、吉屋信子、林芙美子、中条百合子
などが活躍する文壇では、彼女の作品の斬新さを理解する人が稀
有だったのでしょう。

4、モダン都市描写と古里風景描写という対照的なトポス。

 尾崎翠さんも金子みすゞさんも古里を題材にした作品を多く書い
ていますが、二人ともモダン都市に移動したことで、 古里を外から
「観察」する眼を持つことができました。 広い空へ、海の彼方へと、
はばたいたことでつかんだまなざしでした。
 金子みすゞさんには、はじめて投稿して掲載された《海のさかなは
かはいさう。//お米は人につくられる、/牛は牧場で飼はれてる、
/鯉もお池で麩を貰ふ。//けれども海のお魚は/なんにも世話
にならないし/いたずら一つしないのに/こうして私に食べられる。
//ほんとうに魚はかわいさう。》(「お魚」)があります。
 誰もが知っている  《濱は祭りの/やうだけど/海のなかでは/
何萬の/鰮のとむらひ/するだらう。》(「大漁」)。《見えぬけれども
あるんだよ、/見えぬものでもあるんだよ。》 (「星とたんぽぽ」)。
《鈴と、小鳥と、それから私、/みんなちがって、みんないい。》(「私
と小鳥と鈴と」)。口ずさんでみたいフレーズが人気です。
 これらの古里の海や空や港や町を歌った詩は、 しかし、 どこか、
この世であってこの世を超えた異界幻想のように映ります。 それ
は、 みすゞさんの描いたイメージの幻想世界だからです。 現実以
上にリアルに読めるというワイド・スクリーンのような世界ですが、そ
れは虚構のリアリティーといってよいかと思います。 こうした点は、
尾崎翠さんの古里を描く作風に流れている共通の特色といえます。
 尾崎翠さんは鳥取から東京へ、金子みすゞさんは山口県仙崎か
ら下関へと、それぞれが二つの異なった場所を作品の風景・舞台
として選び、 二つの都市とふたつのまなざしを交差させています。
交差点でどのようなワンダーが起こったのでしょうか。

5、同時代の文学思潮の影響を受けながら独自の文体を模索。
  技法もすぐれている。

 尾崎翠さんと金子みすゞさんの作品に共通する魅力は、 1920年
代からのモダニズムという文学思潮と共鳴するところが少なくありま
せん。
 モダニズム全盛の時代には少年少女小説や児童文学、童謡詩の
世界も、そのおおきなうねりの中にありました。 プロレタリア的な童
謡詩もみられましたが、みすゞさんの作風は西條八十系脈と呼ばれ
ています。西條八十の作品は、幻想的でときにホラー的な要素があ
り、イマジネーションの豊かさと鋭さが抜群です。その資質を受け継
いだ彼女の童謡詩は、当時流行だった北原白秋や野口雨情などの
子供の無邪気さや郷愁を誘う作品とは、 トーンがまるで違うのです
ね。また、童謡詩は歌うことが前提で作られますが、みすゞさんの詩
はメロディーをつけなくても、 一篇の詩として読む人のこころの襞に
染み入る純粋なたましいがあります。 この世を超えた美しさと怖さと
に震えている言語感覚が特色でした。また、一篇の童謡詩は一篇の
小説に等しい物語として構成されました。
 尾崎翠さんはどうでしょう。彼女の作風は新興芸術であるモダニズ
ムの影響や野溝七生子にもみられる翻訳小説のようなスタイルがみ
うけられます。現代作家なら村上春樹や小川洋子のようなコスモポリ
タンな文体といえばいいでしょうか。そのなかで「第七官界」という、さ
まざまな感覚が重なり共鳴しあう独特の世界を探りあてたことは特筆
すべきことです。これは宮沢賢治の「イーハトーブ」、 脇見をしている
間隙に見える稲垣足穂の「薄板界」などと同様に、 尾崎翠さんがさぐ
りあてた哀感に満ちた世界でした。またたきした間の「瞬秒」で見た世
界を童謡詩にした金子みすゞさんにも通底しています。日常では見え
ない言葉の領域に踏み込んでしまった表現者たちが、構築した独自
の世界像でした。技法はどうでしょう。金子みすゞさんは、リフレインと
転調の使い方、リズムの取り方にすぐれ、人の持つ心理の怖さや凄
さ二重性を複眼的に描きます。童謡詩という器のなかで、 人間の本
質をさらりと言ってのける、突くというような驚くべき技です。
 尾崎翠さんはといえば、佐藤春夫、芥川龍之介、谷崎潤一郎たち
大正時代の作家たちが好んだエドガー・アラン・ポー的な分裂心理や
分心のモチーフ、フロイトの精神分析などの理論的スキルを駆使しな
がら、 とびっきりシュールで斬新な感覚世界として洗練させていった
知性派でした。

6、創作(投稿時代〜断筆まで)活動時期が比較的短い。

 震えるような美しいことば世界と出会いたいという願い、この世
で手にとることが叶わないものを取ってみたいという願いというの
は、彼女たちに共通する心的現象でした。
 金子みすゞさんは、20歳から26歳 (1923〜1930)で死去する前
年、3冊の童謡詩集を手作りし、童謡詩人としての活動を停止しま
した。わずか5年の文学活動でした。
 尾崎翠さんは、投稿雑誌時代から鳥取に帰って発表した詩作品
「新秋名果」なども含めると、 18歳から39歳(1914〜1935)までの
20年ほどの活動でした。短命だったとはいいがたいのですが。才
能を一気に爆発させた後、事実上、断筆をしています。

7、文学史から逸脱続ける「文」の魅力と魔力。

 彼女たちは、 一体どこへ向かって作品を書いていたのでしょう
か。とても気になります。文学のトレンドは早すぎても遅すぎてもい
けないもので、文学はその時代を映す鏡のような役割を要求され
るものです。尾崎翠さんも、金子みすゞさんも、 同時代文学のトレ
ンドは意識されていたかもしれません。けれど、 時代の観察者で
あっても時流に乗っていたわけでもなかったと思います。アヴァン
ギャルド精神というべきもので作品世界を切り開いていったのでは
ないでしょうか。
 尾崎翠さんは、『第七官界彷徨』 のなかで詩の定義を探すとい
う設定をしました。当時の文芸思潮や理論的スキルを取り入れた
方法などから、詩を書く私も 「詩とは何か?」 を深く追求してしま
って迷子になった一人です。
 金子みすゞさんは、単に癒し系の童謡詩人ではありません。心
情的に共感するという読者も多いでしょうが、物事を重層的に見
ることを促したり、  見えないものを見ようとさせる幻視者の目が、
不思議な世界を見せてくれるのです。
 二人とも言葉の錬金術者といってもよいほど、 読者にアクティ
ブに挑戦してきているように思います。 そう考えますと、 彼女た
ちは既成の文学史的な位置づけで括ってしまうと、どうも何かが
違う気がしませんか? 尾崎翠さん… 確かにモダニズム小説家
ともいえなくもありません。金子みすゞさん…童謡詩人と言って間
違いないでしょう。でも、 こうした文学上のジャンルわけとか位置
づけには関係がないところで、魅力的な 「文」や「詩」 が彼女た
ちの生命線なのです。二人とも一筋縄ではいかない、 予定調和
を嫌ったともいえる凄い人たちだったと言えます。そしてノスタル
ジックで未来的な…場所を目指していたのかもしれません。


U、テキストで読むモダン都市(表出された作品)

 ところで、 モダニズム文学って? なんでしょう。 1920年代前半
からの生活の急激な欧風化と風俗のモダン化が、社会と文化を大
きく変質させ、 都市モダニズムの文学を生みだす土壌を作りまし
たが、モダニズムが文学上で使われる言葉となったのは、昭和初
期から10年くらいの短い期間でした。作家・龍胆寺雄によれば、昭
和4年あたりに「モダニズム文学」 というネーミングを新聞ジャーナ
リストの千葉亀雄が名付け、いっきに広まったようです。川端康成
や横光利一などの新感覚派も後に合流しましたが、 彼らのほうが
モダニズム小説家とみられ、龍胆寺雄や吉行エイスケがモダニズ
ム文学の片隅に置かれているのは何か変です。しかし、文学史的
な位置づけだけでは語れない都市モダニズム的現象が この時代
にはあったと見てもよいのではと思います。

●尾崎翠のモダニティー解読テキストとした「山村氏の鼻」「詩人
の靴」「新嫉妬価値」の3作品から、共通した素材や描写をとりだ
してみました。

1、書き出し部分はすべて「身体」に関する描写です。

 「山村氏の鼻」はタイトルそのもの「鼻」。「詩人の靴」は、津田
三郎の背丈について。「新嫉妬価値」は耳鳴り。いずれも「身体
の器官」や「状態」について描写されています。身体は自分のも
のでありながら、身体に生じるさまざまな現象を自分の意志では
制御できないものです。それだけではなく主人公をふりまわすや
っかいな他者です。これらの重くなりがちなテーマをユーモアとペ
ーソスで描くところに尾崎翠の翠たるゆえんがあるのではなかろ
うかと思っています。

2、文中の特徴は、モダン都市のライフスタイルの摂取です。

 「山村氏の鼻」の何とモダンな生活ぶり。 「詩人の靴」 の津田
三郎のプロレタリアもびっくりの貧乏生活。 「新嫉妬価値」では、
芸術文化の享受。サイレント映画を見るようで、風俗や文化とい
う生活上のモダニズムが鮮明にわかるという仕掛けがあります。

3、モダニズム文学に欠かせないユーモア、ペーソス、ナンセン
スの要素。

 これらが共鳴し合っているのが尾崎翠の世界です。時代のトレ
ンドはプロレタリア文学ですが、「詩人の靴」の主人公の貧乏物
語は、けっしてプロレタリア文学的にはならない。チャップリン映
画を見るようで楽しいのです。

4、テキストにはそれぞれのキーワードがとりだせます。

 「山村氏の鼻」…香り。「詩人の靴」…建築と生活文化のモダニ
ズム、目の散歩、靴と足。「新嫉妬価値」…ひきこもりと漫歩、 分
裂心理。

 昭和初期の3作品を解読しながら、どの時代においても、時代共
通の空気感、共通の語句の類似などがあるのは、現在も同じ現象
だと感じました。それは誰かのものを模倣するというより、 言語や
感覚の同時代性と言ってもいいではないでしょうか。尾崎翠さんや
金子みすゞさんの作品には都市文化のモチーフやテーマなどがあ
り、時代特有の雰囲気や言語の流行はありました。けれど、単に
スタイルだけの実験的なもの、眼をひくような奇抜なものだけでは、
いっきに古びてしまいます。翠さんもみすゞさんも現実社会の具体
的なディテールを新しい表現方法で描いているだけでなく、文章そ
のものに魅力と魔力があるのです。だからこそ、何度も蘇り、何度
も発見されるのです。

※ フォーラムの詳細は 『尾崎翠フォーラム・in・鳥取2009報告集』
(12月
上旬刊行)に収録します。報告集の問合せと注文は以下まで。

  尾崎翠フォーラム実行委員会
    〒680−0851 鳥取市大杙26 土井淑平気付
    (TEL・FAX) 0857−27−7369
    (Eメール)  manager@osaki-midori.gr.jp