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書籍紹介

Osaki Midori Forum in Tottori

 

                      =新刊案内=
                     2004年9月15日刊

      尾崎翠著『迷へる魂』

          (筑摩書房、本体1900円) 

                 目次 

    ◆詩       迷へる魂
              光と蛾
              こだちの中
    ◆短歌11首
    ◆長編詩    五時の汽笛
              練馬の娘
    ◆散文      冬のよ
              夕陽
              過去のうた
              新緑の頃を
              (無題)
              海と小さい家と
              山陰道の女
 
        

         = 書評=
                     椋本かなえ                      
  翠の作品には常々、他の作家とは一味違う描きかたをされるモチーフがいくつかあると思ってきた。なかでも『歩行』に代表される、帰るところも行くあてもない、果てしなく彷徨う自我、『第七官界彷徨』にしばしばあらわれる、どこか息苦しいほど静謐に研ぎ澄まされた五感、このふたつがとくに、翠のあの独特な作品世界を作りあげていると強く感じている。
 これらのモチーフの描かれかたは、おおむね、翠がその作家人生の後期において練りあげ、昇華 していったものなのだろう。しかし、本書ではすでに、その片鱗をうかがうことができる。
 表題作『迷える魂』では、その前半、去りゆく春と花を惜しみ、慈しむ少女の気持が、ひそやかに静かにうたわれている。少女に惜しまれて去りゆく春そして花は、あるいは少女時代を脱して、大人の世界へ押しだされようとしている自分の姿の投影でもあるのだろうか。
 春はゆく、「大いなる自然」へ、「懐かしき郷土」へ。春には帰る場所がある。古い自分もともに ゆく、けれども帰る場所はなく、新しい世界の入口でただとまどうばかりだ。「……されど/われいづくに帰らん、/迷へる魂とともに」彷徨う自我の静かな叫び、けっして声高に叫ばれることのないその言葉が、それゆえにいっそう、わびしくひしひしと胸を打つ。
 散文『冬のよ』では、短い文ではあるがそのするどい色彩感覚に息をのむ。「F」が火鉢の上にさしだした手の、左のべにさし指に結ばれたうち紐。突然目の前に立ちあらわれるその青色は、ありありと現実感をもって迫ってくるし、同じく『夕陽』で描写される沈みゆく夕陽の赤々とした色は、まるで並んで眺めているかのように、いつまでも目のなかに残る。また『新緑の頃を』では、色彩ばかりでなく、いつのまにか初夏の風に包まれ、新緑の匂いをいっぱいに吸いこんでいる自分を発見するのである。
 本書に収録されている作品は、翠が18歳から24歳までのあいだに書かれたものである。こうしたするどい感覚は、この年代に特有の感じやすい心がもたらしたものかもしれない。けれど驚くべきことに、『歩行』や『第七官界彷徨』を改めて読みかえしてみると、その感性はこれらの作品たちにくらべて少しも衰えていないのだ。
 人間とは、若いうちは鋭敏な感性をもっていても、歳をとるにつれさまざまなフィルターがそこ にはかかってゆく。そしていずれは、どんな感性も鈍っていくものではなかろうか。しかし翠には それがない。少女のころも、歳を経てからも、一貫したクリーンなまなざしですべてを見つめ、と らえつづけた……それが翠という作家ではなかったか。また、それができたからこそ、あの独特な 作品群が生まれたのではないだろうか。
 さて本書には、ここで紹介したもの以外にもいろいろな作品が収録されている。
 短歌、のちの少女小説の原点を思わせる長編詩、翠の視点と論点の切り取りかたがおもしろい、評論的散文『山陰道の女』など、どの収録作品も、けっして多い文章量ではないものの、みなきらめきを放つ作品たちである。
 できるならば、本書を読んだあと、全集を読みかえしてみていただきたい。わたしには両者のあいだに、まっすぐに伸びる一本の道が見えるような気がするのである。それは人目にはつかないが、枯れることなく滔々と流れる地下水脈をも思わせる。その道があらわすものはきっと、彷徨える自我であり、あらゆるものを見据えるクリーンなまなざしであるのだ……翠を翠たらしめ、一個の作家とするに至った根底となるものなのだ。そして、それこそが翠の持ち味であり、価値なのである。
 わたしにはそう思えてならない。