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書籍紹介

Osaki Midori Forum in Tottori

 

                     =紹介・書評=

          文芸誌『アピエ』 11号
            
(APIED)
               尾崎翠特集 
              (アピエ社、2007年7月)      
      

                     目次

寺田操「もうしばらくのあいだ、時の外に」
成瀬義明僕「僕の「空想文学館」尾崎翠のコーナーから」
三神恵爾「途上にて ― 尾崎翠と視点の転換」
山崎邦紀「戦前のみずみずしい哲学的青春、あるいは松木氏の鼻」
砂岩あろ「こほろぎホテル」
菅野水紀「秋の山の上に棲むウサギ」
梶原由佳「霧のやうなひとつの世界」
一之田吉「O君のこと」
芦原瑞祥「恋する胞子」
佐久間慶子「翠とエミリー」
和田ヒロミ「風とともにあゆみて」
北林くれ「待つ」
シシー「となりのまちこちゃん」
金城静穂「輪唱する詩人たち」
土井淑平「『サロメ』を交差点に ― 尾崎翠・ワイルド・花田清輝」
浜野佐知「遥かなる魂との出会いを求めて」
資料 尾崎史郎と朝鮮
悪麗之介(?)「ブンガクなんてもう終わりだ
            ― ロマン的なるものをめぐる私論(第二回)」
編集後記 金城静穂/藤井祐介
表紙装画 山下陽子

                   

              書評
 
          多様すぎる可能性
                       
椋本かなえ
                                           

 尾崎翠という作家は、こんなにも多様な表現の可能性を持っている作家
だったのか ― 軽いおどろきとともに、わたしは本誌を読み終えた。
 評論をはじめとして、詩あり、小説あり、マンガあり ― これほど多様な表
現で描かれる尾崎翠を、わたしははじめて見た。
 かつて尾崎翠といえば、「第七官界とはなにか」というテーマを中核とする
作品論、その数奇な人生に焦点をあてた作家論、「少女」というモチーフか
ら展開する社会、フェミニズム論など、どちらかといえばお堅いものが多か
った。けれども本誌では、それぞれの執筆者がそれぞれ自由に、尾崎翠と
いう作家を表現している。
 本誌のなかからいくつか紹介してみよう。
 巻頭の寺田操「もうしばらくのあいだ、時の外に」では、詩人でもある筆者
が、自らの詩作に対する体験と、詩人という顔を持つ翠とを絡めて論を展
開している。深尾須磨子との詩的言語をめぐる激しい応酬に着目し、翠の
文学手法に「詩」が大きく関わっていくことに気づくくだりなどは、さすが詩人
の視点であるとうなずかざるを得ない。
 砂岩あろ「こほろぎホテル」掌偏小説。「こほろぎホテル」という名の架空
のホテルを舞台に、そこに暮らす「ミドリ」と、「私」との奇妙な交流を描いて
いる。親のすねをかじってぶらぶらしている「私」と、日がな一日小説を書き
つづける「ミドリ」。「文学的同棲」をつづけるふたりは、やがて「ミドリ」が「私
」の名前を借りて作品を発表することによって、少しずつ、一体化していく 
― 。
 佐久間慶子「翠とエミリー」翠の生き方について論じている。「創造者」を
二枚具にたとえて、「創作と日常を往復している」存在ととらえたくだりなど
は、表現の豊かさになるほどと思わせるものがある。また、表題にもある
ように、翠と、エミリー・ブロンテを絡めて、その共通性を論じている部分は、
今までになかった新しい視点ではないか。一段落、引用してみよう。

 <わたしは、エミリー・ブロンテと尾崎翠に同じ資質と文学世界を感じる。
生きた時代や環境、小説の文体や雰囲気は違うが、ふたりの存在の仕方
にも作品世界にも共通性を感じるのだ。>

 シシー「となりのまちこちゃん」気軽に読める、「第七官界彷徨」のパロデ
ィー四コママンガ。隣人の女の子から見た、町子の姿が描かれているが、
普通の人から見た町子がいかにおかしく見えるか、多少の誇張はあるも
のの、端的にわかっておもしろい。
 金城静穂「輪唱する詩人たち」短編小説「詩人の靴」を贔屓にする著者
が、自分の生活と津田三郎の生活を重ねあわせていく。極小サイズの居
住スペース、貧しい生活、なかなか認められない作品。日よけの風呂敷の
かわりに褐色の分厚いカーテン。しかし津田三郎の境地にはなかなかな
れず、懲りずに双眼鏡を用意する。単なるエッセイかと思いきや、この後、
文章は怪しげな様相を呈していく。レンズ越しに眼が合った白髪老人、M
さん。実在するかもあやふやなこの人物相手に、著者は交流をし、「詩人
の靴」を朗読する 
― 。
 以上、いくつか見てきたが、わたしはこの本に、多様すぎるほどの可能
性を感じている。
 それぞれの著者が、尾崎翠という作家を軸に、自由な空想のつばさを
羽ばたかせ、それぞれのフィールドで自己の世界を展開している。ほとん
ど評論しか読んでこなかったわたしたちにとっては、新鮮な驚きがそこに
ある。
 評論、詩、小説、マンガ。
 「尾崎翠」というたったひとつのキー・ワードと、けっして多くはない作品
群だけで、これだけのジャンルのものが一同に介することができるとは、
誰が想像し得たであろうか。
 いや、そうではないのかもしれない。
 想像力とは、材料となるものが少なければ少ないほど、その力を発揮
するものではないのだろうか。
 だとすれば、たったひとつのキーワード、少ないテクストは、書き手の想
像力を十分に羽ばたかせるのに十分なものとなり得るだろう。
 また、その少ないテクストも、読み手にとってはけっして親切なものでは
ない。

 <点描ですね。点描ということは吾々散文作家が、今迄の自然主義時
代の一から十まで諄々説明するというような手法ですが、ああいうものに
吾々は倦きあきしたのです。それで形は散文でも非常に言葉を惜んで、
而もテンポを速くする。>

 深尾須磨子との対談でこのように述べた翠の作品は、読み手にとって
けっして親切なものではない。奇妙な筋、不可解な登場人物たち、いわく
ありげな作品の小道具たち ― これらについて、作品中ではいっさい説明
されることがない。ただ読み手の想像力にゆだねられている。
 本誌で書き手たちが見せた、多様な表現で描かれた尾崎翠は、こうし
た想像力がもたらしたものではないか。読めば読むほど、そう思う。テク
ストが言葉少なであればあるほど、想像力の翼は豊かに羽ばたくもので
あるから。
 尾崎翠とは、なんと多様すぎる可能性を持った作家であろうか ― わた
しは、心から率直に、そう感じる。
 これほど多くの書き手に、これほど豊かな想像力の翼を広げさせること
ができる。このような稀有な作家は、尾崎翠のほかにはそうそういないの
ではないか?本誌に目を通すたびに、わたしはそのように思うのだ。 

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