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今年のフォーラム

Osaki Midori Forum in Tottori

 

           ◆トーク抄録◆

         5周年記念特別上映に寄せて

  再び『第七官界彷徨ー尾崎翠を探して』を語る

         浜野佐知vs本城美佐子

 

       浜野佐知監督(左)と本城美佐子さん(右)

新たな視点から尾崎翠を描く

本城 この映画は上映された時にご覧になった方もあるかもわからないし、初めての方もあるかもわからない。それで内容のこととか、作られた時のいろんなエピソードとか、なぜこの映画をこういう風に作ったかという、三つの異なったお話が入り乱れながらつながっていくという映画の作りになっているんで、そのあたりから思いを語っていただきたい。
浜野 この映画はいま本城さんがいわれたように、三つのパートに分かれています。一つが鳥取で生まれ東京で小説を書き、そして鳥取に戻って74歳で亡くなった尾崎翠の実人生です。もう一つが、その尾崎翠の代表作である『第七官界彷徨』という小説世界。そして現代の私たちの視点から見た尾崎翠の作品と人生。そのように三つに分かれていす。
 その当時は、現片山(善博)知事の前の西尾(邑次)さんが知事だった時代だったんですけれど、西尾さんとお話しても尾崎翠を知らなかった。つまり、県知事さえ知らなかった。忘れられた作家、幻の作家といわれている尾崎翠のその作品に私は惹かれ、どうしても21世紀につなげたい。そして新しい尾崎翠像を次の世代につないでいきたい、という風に思ったわけです。
 なぜかといいますと1997年、私が作ろうと思った時点に、尾崎翠っていうのは、稲垣眞美という文芸評論家に私物化されてたんですね。彼が尾崎翠を抱え込んで、表に出さない。現在もまだそういうところがあるんですけれども、彼からとにかく解放して、尾崎翠を新たなる視点で描きたい。
 それまでに尾崎翠が流布していたエピソードといいますのが、映画の一番最初に出てきますけれど「このまま死ぬのならむごいものだねえ」といって、大粒の涙をポロポロと流しながら死んでいった、非常に幸うすい薄幸の女流作家である。そういう風に稲垣眞美は、尾崎翠をイメージづけていたわけですね。

プライドを持った尾崎翠を

浜野 ところが、全く尾崎翠という人はそうではなかったわけです。鳥取に来て、いろんなエピソードを私は聞きました。現実に尾崎翠を知っている方もまだいらっしゃいました。稲垣眞美がいうような、鳥取に戻って35年も生きる屍のように生きて、無為に老いていった哀しい女性なんかじゃあないんだ、という自信を持ったわけです。そのエピソードも映画の中に入れてあります。
 特に本城さんが出てくださった最後の養老院での暮らしぶりであるとか、そういうところに矜持、プライドを持って生き抜いていく尾崎翠の姿を、私はどうしてもどうしても描きたかったということがあるんですね。
 余談ですけれども、本城さんが出てくださった養老院のシーンのところで、尾崎翠が養老院の先輩であるおばあさんに「女のくせに新聞なんか読みやがって」という風に怒られるシーンがあるんですね。そのシーンていうのは、尾崎翠の実の姪である山名礼子さんに演じていただいたんですけど、礼ちゃん、来てますよね。ああ、山名礼子さんです。
 この礼ちゃんですがね、尾崎翠を演じた白石加代子さんをライバル視してるんです(笑)。「わしが尾崎翠をやりたかったのに」って(笑)。礼ちゃんであるとか、いろんなご親族にも協力していただいて、この映画はできたんです。

地元の皆さんのおかげで

本城 それで、撮影でいちばん困ったことは?
浜野 お金がなかったこと(笑)。
本城 ダイレクトにいわないでくださいよ。
浜野 でも全くお金がない(笑)。なにしろ思いだけはあるけど、お金はゼロという。無茶苦茶ですよね、考えたらね。お金なしで鳥取に乗り込んで来まして、なにがなんでも撮るぞということだったので、いま司会をしてくださっている角秋さんなんか、もう私財を投げうってくれましたよね、確か、あの時は(笑)。ほんと、皆さんにお世話になりました。ご親族をはじめ、岩井の婦人会の皆さんだとかに。ほんとに皆さんがエキストラであるとか、小道具であるとか、そういうのをみんな持ってきてくださって、協力してくださったんです。
 尾崎翠と高橋丈雄、東京駅の別れのシーンがあるんですね。これは京都のSL広場に撮影に行ったんですけれど、岩井のご婦人たちが、しかも昭和初期の衣装付きという非常に難しいエキストラ募集だったものですから、結構高齢の女性たちが多かったんです。その方たちが観光バス二台で京都まで行きまして、その日のうちに帰れるかと思ったら、撮影は徹夜、徹夜の明け方になって…。
 でも、岩美町の町役場の皆さんや県庁の皆さんのおかげで、ほんとになんとか乗り越えたというのかな。だって、白石加代子さんとか吉行和子さんという一流の役者さんには交渉したけれども、やる方は聞いたこともないような名前の自主制作の映画です。鳥取空港に来た時に県や岩美町の公用車がきちんとお迎えに出てくれてて、それでなんとかやっと安心したみたいな、そんなことでした。ただ、ほんとに地元の皆さんのお力でこの映画できたなっていう風に思うんですね。

 白石加代子との運命的な出会い

本城 大女優の白石さん。いま大河ドラマでお茶の間ですごいお馴染みになっています。白石さんというのはその昔、狂気女優とか、アングラ女優とか、すごい代名詞を持たれた大女優なんですけれど、その方を鳥取まで引っ張ってきて尾崎翠を。なんか、イメージすごい似てますよね、昔の写真を見るかぎりでは。演じられたのをみて、どういう感想を持たれたのかな、というのをちょっと。
浜野 白石さんて、紫綬褒章を受章されたんですよ、今年。一週間後かな、お祝いのパーティーがあるんです。ほんとに白石さん、とにかく世界に誇る日本の舞台女優ですから、全く私のごとき無名の監督が声を掛けられるような女優さんじゃなかったんですけれども、出会っちゃったんですよね。これは運命的な出会いだったと思うんです。
 ある場所で、たまたますれちがったんです。そのとき、白石さんは舞台公演がはねて、あわてて来たところだったんで、スウェットの上下で頭ぐちゃぐちゃで、すっぴんだったんですね。でも、すれちがったとたんに、私は「あっ、尾崎翠だ!」と思っちゃったんです。「あっ、私の尾崎翠がここにいる!」と思って。
 瞬間、そのスウエットのおばさんは、もしかしたらお掃除のおばさんかと思ったぐらいなんですけれど、私、走って行って、その人の腕をつかまえて「すいません、私の映画に出てください」っていっちゃったんですね。その人が「いえ、私も女優の端くれですから」って事務所を教えてくれたんですが、そのとき名乗ってくれた名前が「白石加代子」という名前で、まあ、私、ビックリしちゃった。
 その時に白石さんが「一体、私のどこが気に入ったんですか?」と聞かれたんですね。私、もうテンションが上がってますから「足の短いところです」っていっちゃったんです(笑)。「あなたは足が短くて、お尻がでかくて、えらが張っていて、尾崎翠にそっくりなんですよ(笑)」っていっちゃったんですよね。
 そこまでいって受けてくれた白石さんは偉いと思うんですけれども、ただ、ほんとに尾崎翠の意志のある、山陰独特なのかな、鳥取独特のえらの張った、がっちりしたあごのある顔を演じることのできる女優というのは、やっぱりなかなかいなかったと思います。
 特に日本の女優さんというのは、もちろん男の監督さんの演出のなかで、男の観客の眼の中で、女であること、女としての価値というのを押しつけられるわけですね。まあ、はっきり男の監督の手垢がついちゃうわけですね。女らしく、美しく、みたいな人が多いなかで、あの白石さんのがっちりした体躯というのは、ほんとにこれこそ尾崎翠だな、という風に思いましたね。ほんとに成功でした。
 多分これは永久に残る白石さんの作品であり、「尾崎加代子」というか、「白石翠」というか、その二人がほんとに幸せな出会いをした作品として残るではないかと思いますけれどね。

英語の翻訳で海外に紹介を

本城 そうですね。大体、お芝居とか役者のことはわかったと思うんですけれど、これから『尾崎翠を探して』はどこに行くんでしょうか?
浜野 やはり、私はこの映画を持って、さらに、さらに、日本国内や海外を歩いていきたいとは思ってます。映画そのものも一人歩きしてますので、いま海外なんかでは映画祭もそうですけれど、大学の日本文学の学会であるとか、そんなところにも行ってますね。
 ただ非常に残念なのは、せっかく世界に向かって尾崎翠の出口が見えてきた、世界に向かってはばたこうとしているチャンスがめぐってきたのに、尾崎翠の翻訳、英語の翻訳というのがなかなかないんですね。
 だから海外の研究者も尾崎翠が読みたいといってきても、日本語のものしかないので、まず尾崎翠にふれるにはこの映画がいちばん手っ取りばやいというかたちで、そういう意味の役に立っている部分というのは一応あります。フランス語版と英語版の字幕がありますので、この映画は世界のいろんな所に行ってるんですが…。
 この映画を作る時は「尾崎翠ってだれなんだ!」って、鳥取ですら知ってくれてる人が少ない。七年たってこの映画にほんとにこれだけの、きょうもこれだけの方が集まってくださって、駄目押しではないですけれども、尾崎翠のその素晴らしい、二十一世紀の今になってもまだ新しくて素晴らしい作品世界をもう一度、映像にして世界中に持って行きたいな、というのが今の私の夢ですね。

                  (記録・山本薫里/抄録・土井淑平)

※トークの全文は『尾崎翠フォーラム・in・鳥取2005報告集』(12月1日刊行予定)に収録します。報告集の問合せと注文は以下まで。

      manager@osaki-midori.gr.jp