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今年のフォーラム

Osaki Midori Forum in Tottori

           
         ◆映画『サロメ』を観て

 
ナジモヴァの映画的舞踊と
       澤登翠さんの弁士的話術

             
土井淑平

  尾崎翠が「鬘(かつら)の美」
  と称賛したナジモヴァ

1 政治的権力/宗教的権威/性的魅力 三つどもえの葛藤劇

 尾崎翠が絶賛したナジモヴァ主演の映画『サロメ』を澤登翠さん
の活弁でやっと観ることができた。『尾崎翠フォーラム・in・鳥取20
07』の目玉企画の一つとして、フォーラムがマツダ映画社に特注
し、フィルムが日本にないためマツダ映画社が手を尽くして探した
あげく、やっと米国からDVDが入手できて上映実現にこぎつけた。
 1924年(大正13)の日本初公開から数えると83年ぶりの再上
映だが、いわばナジモヴァの映画的舞踊と澤登翠さんの活弁の結
合の産物で、大きな期待を裏切らぬ ― 否、それ以上に見応えの
ある映画であった。
 この映画はオスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』(1893年)に材を
取ったもので、その下敷きになっているのは新約聖書の『マタイ
伝』と『マルコ伝』である。サロメは多くの著名な作家・画家・音楽
家が取り上げてきたが、同性愛者でもあったワイルドの原作が倒
錯したセクシュアリティと芸術至上主義への賛美を通して、抑圧的
なヴィクトリア朝時代のブルジョア社会を内部から告発する意味を
持っていたことは明らかである。
 ユダヤの領主エロドは兄を殺して王位を簒奪し、 その妻エロデ
ィアスを自らの妃とするが、それは律法で許されないと預言者ヨカ
ナーン(ヨハネ)に告発され、かれを牢に閉じ込めている。エロドは
ローマの将軍や異国の貴人を招いた宴の席で、エロディアスの連
れ子のサロメによこしまな欲情から言い寄る。
 これを嫌ったサロメは宴席から抜け出て、エロドが恐れていたヨ
カナーンをひと目見た瞬間から、この預言者に電撃的かつ倒錯し
た愛を抱く。しかし、サロメはソドムの娘だとヨカナーンに非難され、
エロドの懇請で踊りを踊った褒美にヨカナーンの首を要求する、と
いった筋書きの悲劇である。
 ヨカナーンを牢につなぎながらも聖者に対する恐れを抱いていた
エロドは、サロメの要求に驚き当惑するが、いったん約束した彼女
への誓いを破ることができず、衛兵をつかわしてヨカナーンの首を
盆に載せて差し出す。だが、最後には、サロメ自身もエロドの「その
女を殺せ」の命令で、衛兵たちの楯に囲まれて圧殺される、といっ
た象徴的なシーンでドラマは閉じる。
 エロドの政治的権力とヨカナーンの宗教的権威の間に立つサロ
メは、これらに対抗する第三の武器たる性的魅力の体現者といえ
るが、それもヨカナーンには通じず自ら破滅の道に進むというわけ
で、いわば三つどもえの葛藤をはらんだドラマである。

           預言者ヨカナーン(左)とサロメ(右)

2 ランボヴァの様式的舞台装置とナジモヴァの映画的舞踊

 映画は二つの書割の室内にセットを限定している。まず一方の
書割のセットでは、妃エロディアスの娘サロメに言い寄る目尻を下
げた下品で好色そのもののエロド、その隣で王を疎んじつつ高官
か異国の隊長かともかく別の男にしなだれかかるエロディアス、と
いった淫猥かつ退廃した宮廷の雰囲気があぶり出される。
 これに接続したもう一つの書割のセットでは、エロドの欲情にみ
ちた視線に耐えられなくなって逃げ出したサロメが、宮廷の退廃を
告発する牢獄の預言者ヨカナーンの声に惹かれ、サロメに想いを
寄せる若き親衛隊長をそそのかして、この聖者を牢獄から引き出
させて口づけを迫る。しかし、聖者たるヨカナーンはこの若く美しい
異性の誘惑に、心を動かされることも性的な魅力を感じることもな
く、近親相姦の母から生まれし呪うべき娘としてサロメを拒絶する。
 ワイルドの原作でサロメは「あたしはお前の肌がほしくてたまらな
い」と官能のかたまりのようなセリフを吐き、その愛欲の極限として
首を切り取られたヨカナーンの唇に口づけするが、ナジモヴァの映
画で観る限りサロメのヨカナーンへの愛は肉体的ないしは官能的と
いうよりも、むしろ宮廷や肉親の退廃の対極に位置する、つまり宗
教的な畏怖ないしは倫理的な彼岸のように思えた。そもそも、痩せ
た細身の身体ですっくと立ち、呪われた王や王妃を告発するヨカナ
ーンへの関心それ自体からして、いわば聖なるものへの怖れないし
は憧れを暗示しているのではないか。
 ナターシャ・ランボヴァの舞台装置は非常にシンプルかつ様式的
で、二つの書割のセットによる絵画的な印象と同時に、全篇これ舞
踊劇とでも形容したくような舞台劇の印象が強かった。その舞踊劇
のクライマックスは「七つのヴェールの踊り」だが、サロメの流れる
ように美しい体の線を浮き立たせる白の衣装、および、付き人の羽
根か覆いを思わせる黒の衣装、という白と黒のシルエットのアラベ
スクは鮮やかである。
 この「七つのヴェールの踊り」にとどまらず、サロメが切り落とされ
たヨカナーンの首に覆いの下で接吻する場面にしても、あるいはま
た、衛兵たちの黒い楯に取り囲まれて姿を消すサロメの最後の場
面にしても、アラベスクのように様式的で象徴的な表現手法を感じ
る。ランボヴァの舞台装置と美意識は、ワイルドの原作に寄せたビ
アズリーの戯画化された露悪的な挿絵と対照的に、表現すべき対
象を紗や覆いのベールに包んで柔らかくシンボライズさせるもので、
むしろより繊細で美的な好感が持てた。
 尾崎翠が『映画漫想』で「ナジモヴァの体躯の動きには、画面の
はじめからおわりまでを通して、舞踊の美がある。律動の美」と書
いたように、― ひいてはまた、これを敷衍して澤登翠がそこに「身
体のすべてを表現手段としたナジモヴァの舞踊劇」を観たように、
映画『サロメ』はナジモヴァの舞踊劇といっても過言ではない。実際、
『サロメ』は一つのバレエないしは映画的バレエとして考案されたら
しく、映画批評家のルイ・デリュックはナジモヴァを「舞踊家」と呼び、
この映画を「映画的舞踊」とすら評しているほどだ。

          ナジモヴァの「七つのヴエールの踊り」

3、弁士的話術を現代に復権させた澤登翠さんの活弁

 尾崎翠フォーラムにおける澤登翠さんの活弁は、2003年の『プ
ラーグの大学生』と2005年の『椿姫』に続いて3回目に当たり、い
ずれも尾崎翠が『映画漫想』でたたえた作品だが、やはり今回の
『サロメ』がもっとも見応えがあり印象深いものであった。
 キリストが生まれた時代の精神の暗黒と不正を背景とした語り、
一途に聖なるものの美に憑かれた若いサロメの声、凛として立つ
抑制のきいた聖者ヨカナーンの声、それと逆に妃の連れ子によこ
しまな情念を抱く抑制なきエロドの声、これに反発して王に口うるさ
く小言を繰り返すエロディアスの声、・・・ とさまざまな声に乗り移り
ながらの変装・化装のドラマツルギーは、まさしく徳川夢声なき今日
の活弁の世界を代表する澤登翠さんの弁士的話術の頂点の一つ
を示すものであろう。
 澤登翠さんが『サロメ』を絶賛した尾崎翠の『映画漫想』のもっと
も深い読み手の一人であったこともその活弁に生かされている。
2003年の『プラーグの大学生』上映に先立つ講演で、澤登翠さん
は『映画漫想』の特質を喝破してずばりこう語った。「全身感官と化
して映画に集中している。第六官はおろか第七官といいますか、非
常な感覚の狩人となって映画に向き合っている」(「尾崎翠が愛した
映画」、『尾崎翠フォーラム・in・鳥取2003』報告集所収)と。
 今回の尾崎翠フォーラムにおける『サロメ』の上映は、カナダ・モ
ントリオール大学教授のリヴィア・モネさんが『尾崎翠国際フォーラ
ム・in・鳥取2004』の重要な講演「サロメという故郷」で、この映画
『サロメ』の文化史的意味と社会的背景を豊富な資料を駆使して
説き明かしただけでなく、これとも関連して徳川夢声の影響を受け
た尾崎翠の『映画漫想』その他の弁士的話術についてするどい分
析を加え、わたしたちを大いに啓発し刺激したのがきっかけであっ
た。
 すなわち、そこでモネさんが力説したところによると、1900年
代から1910年代にかけて「新しい女」たる「サロメの踊り」が国
際的に熱狂的な人気を呼び、女性の自我・身体・セクシュアリテ
ィの目覚めや解放を目指す女性運動の推進に寄与するなかで、
ナジモヴァがレズビアンの色の強い女性アーティストを結集して、
その革命的な可能性をさらに展開すべく挑戦したが、これを受容
した『映画漫想』における尾崎翠の情熱と愛はナジモヴァの演技
だけでなく、この「サロマニア」あるいは「サロメ・フェミニズム」へ
の深い共感に支えられていたというのだ。
 尾崎翠は『映画漫想』において、徳川夢声に代表される活弁の
弁士的話術のパロデイ風な語り口でクイヤーな変装・仮装のドラ
マツルギーを再演し、その言説は『第七官界彷徨』や『琉璃玉の
耳輪』などの作品にも響き合っている、というモネさんの分析にも
眼の鱗を落とされた。
 今回、その尾崎翠の『映画漫想』の卓抜な読み手にして、徳川
夢声や松田春水以来の弁士的話術を現代に復権させた澤登翠
さんの素晴らしい活弁で、ナジモヴァの『サロメ』を尾崎翠フォー
ラムの企画として初公開から83年ぶりに上映できたことを誇りに
思う。

             (尾崎翠フォーラム実行委員会代表)

※講演の詳細は『尾崎翠フォーラム・in・鳥取2007報告集』(12月
刊行予定)に収録します。報告集の問合せと注文は以下まで。

       manager@osaki-midori.gr.jp