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今年のフォーラム

Osaki Midori Forum in Tottori

 

◆トーク『尾崎翠の国際性』抄録◆
     浜野映画への海外の反響
  
尾崎翠のユーモアとモダニズム
    第七官界のさまざまな構成要素

 『尾崎翠国際フォーラム・in・鳥取2004』のトーク「尾崎翠の国際性」
は、7月10日のモネさんとラマルさんの講演のあと、山崎邦紀さんを
コーディネーターに、浜野佐知監督をまじえて行われました。
 まず、浜野監督から映画「尾崎翠を探してー第七官界彷徨」の海外
上映の反響が述べられ、モネさんとラマルさんが国際的観点から見
た尾崎翠の特徴や魅力として、その独特のユーモアやモダニズムを
指摘し、さらに「第七官界」の構成要素にも話が及びました。
 ここには、尾崎翠に対する新しいアプローチの一歩が刻まれており、
主催者としても大いなる刺激と啓発を受けました。以下はトークから
の抜粋・抄録です。

「尾崎翠の国際性」を語る(左からラマル、モネ、浜野、山崎の各氏)

   

     ユーモアを楽しむ北米、哲学的な独仏の観客

山崎 まず浜野監督に「尾崎翠を探してー第七官界彷徨」の海外上
映の報告をしていただきます。
浜野 一九八八年に私がつくった映画は、日本ではあまりお金にな
らない映画でしたが、海外上映を通して、尾崎翠の世界が二一世紀
になって初めて人びとの心に届くものだった、という風に私は思いま
した。
 私の映画はどこへ行ってもそれぞれ違うけれども、違うなりの感想
を得ました。アメリカ、カナダの北米のお客さんたちは、尾崎翠のユ
ーモアに非常に感じてくれました。そして、共に笑い、共に楽しんで、
ユーモラスな楽しい作品だと見てくれる人が多かったんです。これが
一転して、ドイツ、フランスに行きますと、非常に哲学的になるんで
すね。いきなりユングの全集なんか二〇冊も積み上げられて、尾崎
翠はこの中の何なんだと言われて、私も非常に困っちゃった。
 アメリカのコロラド大学で上映したときは、観て下さったお客さんた
ちが、こやしを煮たり、苔が恋愛をしたり、人間が切々と恋の唄を歌
ったりする、尾崎翠の作品の持つユーモアに、 本当にじかに反応し
て会場がどよめいたんですね。
 私は尾崎翠の作品は言葉が非常に重要だと思いまして、この言
葉の持つニュアンス、日本人であればクスッと笑うようなこのユーモ
アが英語字幕になったときに、アメリカの人たちに分かるんだろうか
というのが、ちょっと心配だったんですけれど、尾崎翠の着想の奇抜
さやユーモアが観て下さった人たちの胸にしみ込んでいったんでは
ないのかな、という風に思います。
 ヨーロッパに関しましては、フランスのプレティーユにある世界最大
の女性映画祭で、主催者のジャッキー・ビアさんが尾崎翠その人と
生き方を認めまして、「佐知の仕事は素晴らしい、日本で埋もれた作
家を映像で世界に知らしめた、非常に評価できる仕事である。来年
は いい仕事をしながら世界中で埋もれ忘れられてしまった、女性作
家や女性芸術家をもう一度探し出して、顕彰する映画祭をやる」と言
って下さったことは、非常にうれしいことだった。
 そのジャッキー・ビアさんが「尾崎の作品をフランス語で読みたい、
だからぜひぜひフランス語で翻訳されることを待っている」ということ
も言われましたので、モネさんフランス語の方もよろしくお願い致しま
す。その翌年ですか、もう一度パリに行きまして、日仏女性研究学会
の「権力と女性表象ー日本の女性たちが発言する」というシンポジウ
ムで、オープニングの映画の夕べで上映していただきました。この時
のフランスの観客たちの反応はとても素晴らしいものがありました。

   カミーユ・クローデルやヴァージニア・ウルフと比較

浜野 フランス語で書かれたアンケートをちょっと読みますね。「フェミ
ニスト的フェミナンな感性で創られた作品を観るのは楽しい。この映
画を観て、カミーユ・クローデルのことを思い出した」。
 カミーユ・クローデルはロダンの愛人と言われていたフランスの女
性彫刻家なんですが、精神を病んで芸術的な仕事を辞めていくわけ
ですけれど、この精神を病んだのはロダンとの愛憎だという説もあり
ます。だが、実は彼女の作品をロダンが自分の名前で出す、つまり
女であるからゆえに自分の女の名前で作品を発表できなかった苦悩
もあったのではないか。
 そのほかには「美しい物語と映像、理由は今は分からないが、ヴァ
ージニア・ウルフを思い出した」。「黒澤や北野の映画は感性に溢れ
ているが、本質的に男の映画であることが分かった。この映画を観て、
女性芸術について考え、興味を持つことができた」。「鳥取の海の美
しさとか、苔の緑とか、感覚的な表現がよかった」。
 「素晴らしい詩的世界を描いた作品と同時に、翠という一人の女性
の生き方をセンチメンタルに表現するのではない、力強い構成で引っ
張っていってくれた作品でした。…「第七官界彷徨」という、この鳥肌
が立つほど官能的なタイトルをつけた詩人が日本にいたことに驚き
ました」。「戦前、女性が書くということは相当なプレッシャーがあった
と思われる。その時代を生きた尾崎翠はじめ文学者たちの生きざま
に感動」…などと尾崎翠そのものを認めて下さった感想がとてもたく
さんありました。
 アジアでは韓国と台湾で上映しました。韓国では梨花女子大学の女
性学の教授が、『ウィメンズ・フィルム・フェスティバル in ソウル』とい
う女性映画祭で、この「尾崎翠を探してー第七官界彷徨」を観ることを
授業として下さって、尾崎翠の生き方や作品についてのレポートを書
かせるというようなことをやっておりました。
 尾崎翠が1人1人のペンの先から見事に書き上げられていって、彼
女の生命がこう1人1人にしみわたっていくんだなあ、みたいな非常に
感動的な感じを私は覚えました。

    徳川夢声の影響を受けた翠の弁士的なユーモア

山崎 今日のフォーラムが非常に画期的だと思うのは、モネさんから
ナジモヴアの顔や「サロメ」のシーンをスライドやビデオで見せていた
だき、「映画漫想」に出てくる映画をすべて観ようとされているラマルさ
んの話を聴けたことです。
 お2人に海外から見た尾崎翠という点で、例えば海外の作家で尾崎
翠と比較できる作家がいるか、あるいは日本の作家と尾崎翠はどこが
違うか、そこらへんのことに関してお話いただけませんか。
モネ やっぱり翠の作品の特色としては、さきほどの浜野監督の話に
も出てきたようなユーモアですね。しかし、そのユーモアというのはクー
ルなユーモアですね。アイロニーと風刺、しかもそれは非常にモダニッ
ク風なアイロニーとユーモアなんですね。
 ここにいらっしゃる土井さんは、「尾崎翠と花田清輝」のユーモアとパ
ロディについての大変な力作をお書きになっていらっしゃいますけれど
も、もう一つの翠の特徴になっているユーモアについて考えてみたいと
思うんです。それは徳川夢声のような弁士的な、活弁の話術の中で出
てくるようなユーモアです。
 徳川夢声は「映画漫談」という作品を書いていて、それは活弁をやっ
ていた時の話術をベースにした、非常にユーモラスなエッセーみたいな
文章で、1928年あたりから出始めているんです。この「映画漫談」とい
うのは翠の世界においてのユーモアと非常につながります。しかも、翠
の「映画漫想」の題自体は徳川夢声の「映画漫談」の影響を多少受け
ているのではないか、と私は思うわけです。
 ですから、もう一つの翠の世界の、もう一つの魅力、弁士的な話術、
しかもユーモラスなナンセンスな笑いも含んだ話術、それはやはりまた
映画と深い関わりを持つようなユーモアで、こういう点について皆さん
に考えていただきたいと思います。

     翠のユーモアはヴァージニア・ウルフにも通じる

モネ このようなユーモアというのは、さきほど浜野佐知さんの話に出
てきたヴァージニア・ウルフと非常に通じるタイプのユーモアなんです。
なぜかというと、ヴァージニア・ウルフも映画のことを書いていたんです
けれども、彼女も映画で女性の文化、女性の表現を考える時に、翠の
ような風刺、アイロニー、ユーモア、それもクールなユーモアを非常に
巧みに展開してきた。
 例えば「女性のための部屋」というような、1920年代の女性のフェミ
ニズム宣言になっていた作品のなかで、翠風なユーモアを展開してい
た。とにかく、浜野佐知さんの話の中に出てきたような、「尾崎翠を探し
てー第七官界彷徨」の映画の上映の感想は、1人の観客の感想だった
んですけれども、それは非常に新しいことでした。
 そのヴァージニア・ウルフの同時代・同世代の作家ーしかも彼女とつ
きあいのあったモダニズムのレズビアンの作家にH・Bがいた。それは
ヒューダ・ビューの省略の名前なんですけれども、彼女は1920年代の
初めごろ『クローズアップ』という映画雑誌をつくるわけです。
 その映画雑誌のなかで、また彼女の文学の仲間であり、しかも映画
のことを書いていた時の協力者でもあるA・H・クワイエというレズビアン
の詩人のような世界と、翠の書いた映画論は通じるのではないか、と私
は思うんです。
 ですから、ヴアージニア・ウルフ、H・B・ブライヤー、それから1920年
代は大変盛んにヨーロッパでレズビアン文化を中心とした文学活動、文
学運動があった。それは主にパリやロンドンだったわけですけれども、
モダニズムのレズビアンの作家たちが彼女らの世界、しかも彼女らの
つきあい、ある種のコミュニティをつくっていた。
 その当時はこのような世界は少ししか日本では紹介されていなかった
わけですけれども、しかしこのようなモダニズムの女性の作家たちーし
かも、レズビアンの作家たちの感性や想像力と翠の感性や想像力はよ
く通じる、と私は思うわけです。
ラマル やっぱり尾崎翠の特徴で面白いのはユーモアですけど、ちょっ
と私の話に戻して彼女の一番面白い点は、メディアの変容を中心として
社会的な変質を描写できたということ、いろいろ映画的な小説も書いた
けど弁士的に一種の饒舌なファンとして映画批評を書いたことです。
 うちのゼミで「映画漫想」を読んでいるうちに、浜野さんの映画を上映
すると、やっぱり若い学生たちの反応が面白くて、なぜ浜野さんが日本
でもっと認められていないかな、という質問が何回も出た。いまの若者
は大正時代か1920年代について何も知らないから、映画を観てそう
いう文化もあったかと驚きます。それは本当に大昔だけど、いまのモダ
ニティに比べて似ている点がいっぱいあるから、どきどきする。本当です。

    さまざまなエロス・衝動・想像力が第七官に働く

山崎 翠が作品を発表した1920年代、30年代にモダニズムの作品
が相当つくられたと思うんですが、同時代の作家として、なぜ翠だけは
古くならない、現代においてみずみずしく読めるのだろうか。
モネ モダニズムの作家たちが皆古くなっていると言えないと思うんで
すけれど、やっぱり翠におけるモダニズムと同時代作家のモダニズム
を比較する価値がある。たとえば横光利一など新感覚派だけではなく、
映画モダニズム、大衆都市モダニズム、女性が支えていたモダニズム、
レズビアンのアーティストたちがつくりあげようとしていたモダニズム、さ
まざまなモダニズムがあるわけですよね。
 尾崎翠はたしかにモダニストだったんですけれども、大衆メディアの
世界に通じる感性を非常に持っていた。だから、私は徳川夢声だとか、
あるいは映画だって大衆メディアですよね、もちろん芸術でもあるんで
すけれども。ナジモヴァの映画は非常にアンヴィバレントな映画で、大
衆芸術と実験映画やモダニズム映画の先駆け、あるいは橋渡しのよ
うな役割を果たした映画だったと思う。翠の作品世界も、このようなさ
まざまなモダニズムの世界の間での、媒体のような役割を果たしてい
たのではないか。
 尾崎翠は実験的な世界をつくりあげようとしていたわけですけれど、
しかし非常に身体的な感覚を強調した、実験的モダニズムの表現の世
界であるのではないか。私は機械的エロスと名づけていきたいと思う。
その背景に稲垣足穂が指摘した機械芸術も働いていたけれども、彼女
独自の感性が働いていた。女性的機械的モダニズムという風に名づけ
られるかどうか知らないのですけれども。
 ですから、彼女の「第七官界彷徨」で描いた「第七官」というのは、第
六官を越えたファンタジーなんですけれども、その「第七官」はさまざま
なエロス、さまざまな衝動、さまざまな想像力が働いているわけですよ
ね。1つは映画的感覚、もう一つは機械的エロス、もう一つはハイブリッ
ドとかレズビアンに支えられていた感性、それも働いている。
 それはレズビアンだけでなく、川崎賢子さんも塚本靖代さんも、さまざ
まな研究者の方も指摘していらっしゃる両性具有性、アンドロギュノスも
ある。ですから、レズビアンと両性具有性の感性・感覚が働いていた「
第七官界」は、いまの言葉でいうと「クイア」というんですけれども、そい
う感性が働いていた。
 しかも、それはサロメ的な情婦、少女妖婦のようなセクシュアリティも
働いていたと考えなくてはいけない。ですから、第七官というのは非常
に複雑で、いろんな意味を持っていた第七官であった。もちろん、それ
は想像の世界なんですけれども、しかしこのようなファンタジーの世界
の中で、さまざまなモダニズム、さまざまな感性、さまざまな感覚が働い
ていたことを考えなきゃいけない、と私は思うんです。

                  (記録・岩谷東亜/要約・土井淑平)

※ トーク「尾崎翠の国際性」の詳細は、尾崎翠フォーラム実行委員
会の『尾崎翠国際フォーラム・in・鳥取2004報告集』(12月1日刊行
予定)に収録します。ご注文は以下まで。
         
manager@osaki-midori.gr.jp