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今年のフォーラム

Osaki Midori Forum in Tottori

 

 

◆講演『尾崎翠が愛した映画』と『黄金狂時代』上映に寄せて◆

尾崎翠が愛したチャップリン

傑作『黄金狂時代』を上映

澤登翠さんの講演と活弁で

                                  角秋 勝治

 「『ゴオルド・ラッシュ』の一作でもって、チャップリンは私の神々の王位を占めてしひました」と、尾崎翠に言わせたチャーリー・チャップリン監督・主演の『黄金狂時代』。作品の質・量において、これほどレベルの高い笑いと涙で世界中を感動させた映画人はほかにいない。
 ことしのフォーラムは、翠が愛したチャップリンの懐かしいサイレント(無声映画『黄金狂時代』を、おなじみ澤登翠さんの活弁(活動弁士)で上映することになった。つまりチャップリンを介して、二人の「翠さん」が接するユニークな企画となったのである。

 

尾崎翠が愛した映画、チャップリンの傑作『黄金狂時代』

悲喜劇の異化効果

 『黄金狂時代』は一九二五年、チャップリン三六歳の製作。ブリュッセル万国博覧会(一九五八年)の「世界映画史上の傑作十二選」で『戦艦ポチョムキン』に次ぎ第二位を占め、チャップリンも監督として第一位に選ばれている。
 物語はゴールドラッシュにわく一九世紀末のアラスカ。一獲千金を夢見たチャーリー(チャップリン)は、大男ジム(マックス・スウェン)と凶悪犯ブラック(トム・マリー)ともども、猛吹雪で崖っぷちの山小屋に閉じ込められてしまう。やがて襲う猛烈な飢餓で、チャーリーのドタ靴を煮て食べることになった。
 前半の名場面。靴紐をスパゲッティ―のようにフォークに巻きつけたり、靴底の釘を一本ずつ抜いて骨のようにしゃぶるテーブルマナーは、映画史に残る爆笑の連続だ。悲喜劇の異化効果とも言うべき、飢えとマナーのリアリティー。その背景には貧しかった自らの少年時代や、世界的な大不況という経験を見詰めた眼があったに違いない。
 さて、町へやって来たチャーリーは、酒場女ジョージア(ジョージア・ヘイル)にひと目ぼれ。しかし海千山千の女たちは小男チャーリーをもてあそぶ。チャップリン映画には常に夢と希望、真心と愛が描かれているが、テーマの底には人間の暗部に潜む、残酷で肌寒いばかりの哀しみがある。再び山小屋に戻ったチャーリー。だが再び猛吹雪で小屋は崖に押し出され、右へ左へ傾いて絶対絶命のクライマックスを迎える。
 「逆説かもしれぬが、しばしば悲劇がかえって笑いの精神を刺激してくれる」とチャップリンは自伝で述べている。「わたしたちは、自然の威力というものの前に立って、自分の無力ぶりをわらうよりほかにない―笑わなければ、気がちがってしまうだろう」。まこと喜劇と悲劇は紙一重なのかもしれない。

独創的な映画批評

 映画の特徴は「光と影」である。人間の内部生命を主観で描く表現主義は第一次世界大戦前に始まったが、絵画が原色の荒々しいタッチで訴えるのに対して、映画は『カリガリ博士』などに見られるように強烈なモノクロの陰影で迫った。しかも翠が映画を愛した青春時代は、ちょうどサイレントとトーキー(発声映画)の過渡期だから、これら表現主義とサイレントの影響はかなり大きいと思われる。
 「映画とは、ただ静かな影であった」と述べる翠にとって、音声は下手をすれば映像を邪魔する「自殺」行為になりかねない。自然主義を唾棄した翠は音声による説明よりも、もの言わぬ映像から全感覚を研ぎらせて本質を読み取ろうとする。事物の部分にこだわり、事足りぬ条件のなかから自分の感覚を共鳴させながら、深部へと潜り、そこからさらに特異な哀しみとユーモアを展開させる作家だからである。
 翠の『映画慢想』は、まことにマニヤックな叙述に終始している。映画の荒筋や全体像を読者に紹介して、少しでも作品に貢献しようなどという考えは最初から翠自身にありやしない。自分のお気に入りの一場面や身体部分に触れながら、極めて感覚的にずばり切り込み、作品の本質に迫ろうとする。『映画慢想』で画面心理について、彼即ち自身の見方を述べている下りがその考えをよく表している。
 「彼は眼だけでなく、他の全感官を役者の全身に向って働らかし始める。此処に一個の感覚的観客が生まれる。そこで、彼の各感官と役者の体躯の部分部分との交錯が始まるのだ。これを表現主義の手法で撮ったら、いくらかおもしろい画面になると思ふ」。 その意味で翠の鑑賞は受動ではなく、実に能動的だ。鑑賞者は作品から回答を貰うばかりではなく、作品をテコに自ら考えることによって創造的に参加するのは今日では常識だが、当時はかなり先進的な方法だったに違いない。「部分部分との交錯」とは、画面に紙や印刷物を貼り付けたシュールレアリズム(超現実主義)の技法、コラージュをも思わせるものがある。
 翠の気ままで楽しい映画評の秘訣は、能動的で独創的な鑑賞眼にあった。代表作『第七官界彷徨』のヒロイン町子が、大空を見ながら深い井戸の底をのぞく心理となり、それを「第七官」と呼んだように、その文章には大胆に反転させる深いイメージがあるのだ。

優れた身体的表現

 鑑賞もまた創造行為。翠は、その実践者である。作品を味わい尽くし、あくまでも自分のものとして表現した。だから日本人の翠がチャップリンに捧げた次の詩には、漂泊の俳人・尾崎放哉や種田山頭火をも見る思いがするのである。

 君、あきかぜにうまれ
 あきかぜに吹かれ吹れて
 ひとりわびしくもの言はぬあきかぜのをとこ
 
 サイレントからトーキーへ移行する時代に、アクションだけのコメディアンは没落してしまった。だがチャップリンが生き残ったのは、優れた身体表現であるパントマイムに心理と説話性を取り入れたからである。そして直感を持ち前の分析力で確信に変え、スクリーンで訴えた反権力と風刺性は、鋭い感性で時代を予見しいまも色あせることはない。
 チャップリンを「神々の王位」とした翠は、その「杖と帽子」を偏愛しているが、それは『第七官界彷徨』で「首巻」を、少女小説では「首飾り」をシンボライズしたことを連想させる。つまり小道具という部分で身体を、のみならず全体を象徴して人間の真性を表す。この時、モノは単なる小道具ではなく人体の一部と化し、その身体はココロを表現するのである。
 チャップリンの基本はパントマイム。稀代の喜劇役者は優れた身体表現者であったが、それを鑑賞し創作する翠の文章作法もまた身体的表現であったと言える。しかも翠が詩でうたった通り、チャップリンが演じた主人公たちも本質的に放浪者。仮寝の弱者はユーモアの底に哀しみを隠し、哀しみをユーモアでこぼれないように
包み抗う。少なくとも翠はそんなチャップリンを愛し、心を込めて握手しているのある。

言葉貧しい今こそ

 ゆうばり映画祭で講演する澤登翠さん

 活動弁士・澤登翠さんについては、いまさら紹介するまでもなかろう。一九七二年、松田春翠に入門。翌年デビューし、活弁を守って三〇年。的確な作品解釈と多彩な語り口で、消えかかっていた活弁を、いまや人気の「ライブ・パフォーマンス」に仕上げた功績は大きい。その声は七色の「澤登節」と言われ、見る者をいつしかスクリーンの渦中に引きずり込む。子どもから大人まで、幅広いファンをもつはずである。
 一九八八年のフランス・アヴィニョン芸術祭を皮切りに、ニューヨークなどアメリカをはじめ、ローマ、ロッテルダム、シドニー、サンパウロでの海外公演も多く、その道中記は『活動弁士世界を駆ける』に詳しい。芸術祭優秀賞、山路ふみ子文化財団特別賞、日本映画ペンクラブ賞受賞。
 澤登さんは当初、サイレントを面白くしようと、いろんな言葉遊びを入れたらしい。しかし「チャップリンもハロルド・ロイドも、映像自体がおかしくてたまらない。それをさらに言葉で笑わせようとしてもくどいだけ。悲劇も同じです。面白い場面や哀しい場面では、ぐっと黙った方が効果的なんですね。映像を生かして語るのが弁士の役割だと気づきました」と言う。発声を映画の「自殺」と警戒した翠も、こんな澤登さんの語りなら満足するであろう。
 「同じ映画でも、その場の雰囲気で違う調子になります。だからこそ面白いし難しい。日本語の美しさ、重厚さ、華麗さは語られることによって醍醐味が生まれます。言葉が貧しくなってきている現代だからこそ、語りの芸を大切にしていきたい」。奢らず、怠らず。チャップリンの名画と一体化し、自らも表現者として見る者を巻き込む話芸は、生涯忘れられないひと時になるに違いない。

                (尾崎翠フォーラム実行委員会監事)

〔追記〕「●プログラム変更」でお知らせしたように、7月12日の尾崎翠フォーラムではまことに残念ながら、外国の著作権の関係でチャップリンの『黄金狂時代』の上映を取り止め、代わりに『チャップリンの消防夫』と尾崎翠が傾倒した『プラーグの大学生』の2本を上映することになりましたので、ご了承下さい。