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第3回『尾崎翠フォーラム・in・鳥取2003』速報(1)

 今年は尾崎翠の没後33年に当たる年で、ご親族の皆様は命日のひと月前の6月8日、鳥取市の養源寺にて33回忌の法要を執り行われましたが、第3回目の『尾崎翠フォーラム・in・鳥取2003』も7月12日(土)と13日(日)の両日、鳥取市の県民文化会館を主会場に、、県内外から約180名が参加して盛会のうちに終りました。フォーラムの詳細は翠関連の資料・論考とともに、11月末刊行予定の『尾崎翠フォーラム・in・鳥取2003報告集』で報告しますが、とりあえずの速報をお届けします。

◆狩野啓子さんの講演『「第七官界彷徨」の世界』抄録◆

                    翠探究の旅 

 狩野です。今回講演を依頼されまして、澤登さんがチャップリンを弁ずる機会を逸するわけにはゆかない、とお受けすることにしました。
 今日は「第七官界彷徨」の学術的な読解というより、これまでの私の尾崎翠研究の経緯を順を追ってお話ししたいと考えています。

      翠探究の旅について語る狩野啓子さん

 @1969年 出会い──昭和44年(1969)に卒論の準備をしているときにたまたま尾崎翠に出会いました。私の卒論は石川淳でした。いわゆる戦後無頼派といわれる人達を研究していて、選集「黒いユーモア」に「第七官界彷徨」が掲載されていました。非常に驚き、印象に残りました。修士論文も石川淳だったんのですが、「第七官界彷徨」はずっと気になるものとして残り続けていました。
 A1983年 初めての発表(鹿児島にて)。──出会いからもう10年経っていました。近代日本文学会九州支部での発表でした。「尾崎翠『第七官界彷徨』の成立」というタイトルでした。まだ、尾崎翠って誰?という時代で質問も出ず、内容も理解されていなかった。
 B1984年 初めての論文。──「尾崎翠『第七官界彷徨』の成立(1)」(「筑紫女学園短期大学紀要」19)。これは結局(1)だけで終わってしまいました。
 C1987年 女性文学アンソロジーに「こほろぎ嬢」収載。──『短編 女性文学 近代』(おうふう)ですが、この時、「女流」というのをやめて「女性」に置き換えました。尾崎翠をぜひ入れて欲しいと強く主張しました。しかし「第七官界彷徨」は長すぎるので(全文掲載という方針だったので)代わりに「こほろぎ嬢」にしました。そこで出会ったのが、ウィリアム・シャープで、色々調べたんですが、非常に資料が少ない。
 D1990年 女性文学辞典で「尾崎翠」の項執筆。──『現代女性文学辞典』(東京堂出版)。(【編集者註】これはフォーラム当日の資料として示された。)
 E1995年 「感覚の対位法 尾崎翠『第七官界彷徨』」──『フェミニズム批評への招待─近代女性文学を読む』(學藝書林)。この學藝書林は、昭和44年の『現代文学の発見』叢書と同じ出版社ですね。この叢書シリーズは大変斬新なシリーズでした。
 F1997年 イギリスにて。──98年までイギリスに留学しました。ロンドン大学、LSE、ジェンダー研究所というところでした。当時としては数少ないジェンダーを扱う研究所で、この間アメリカへもゆき、ジェンダーの研究をしました。他方、ウィリアム・シャープに関する資料も探したが、イギリスでも研究者は少なく苦労しました。が、あるとき William Sharp ─"Fiona Mackleod" 1855-1905 (Flavia Alaya)という本を見つけました。この本はアメリカでも滅多に手に入らない貴重な本だとあとでわかりました。またスーさんというシャープ研究者とも出会いました。彼女はエセックス大学の事務局に勤務する方で、貴重な資料を大量にコピーさせて下さいました。
 G1998年 帰国して──この年に、私はびっくりしてしまいました。尾崎翠の映画ができる、というのです。浜野佐知さんのあの映画のことです。私がイギリスに行っている間のことで、びっくりするやら嬉しいやら、ちょっとした浦島太郎でしたね。浜野さんは、尾崎翠を全国的に、いや世界的にした人で、その功績はとても大きい。
 H2000年 ローマにて。──ウィリアム・シャープは正確にはイギリス人ではなくスコットランドの作家です。ローマに行ったとき、私は2、3日ローマ郊外の湖のある地域のホテルに滞在しました。ウィリアムの中に、フィオナという女性人格が入り込んだのは、この湖の畔だった、といわれているからです。イタリアはウィリアムにとって理想の地で、北のスコットランドと南のイタリアがここで合一した。また、フィオナとは、イギリス文壇で成功したウィリアムの中で抑圧されたスコットランドだ、と分析する研究者もあります(Flavia Alaya)。
 I彷徨は永遠に──こうして、尾崎翠を研究してきた30年の旅を振り返ると、映画漫想の中の言葉が思い出されます。

 ポール・モーラン!
 日本人といふものは、散歩といへば脚でするものと決めてるやうです。脚のほかの散歩が日本に来ると、またはたまに日本で創られると、それはもう散歩ぢやなくなり、ねごとか、ひとりごとにされてしまひます。ですから、あなたにすこしお願ひがあるのです。散歩には脚以外の散歩のあることを、いろんな色あひの散歩のあることを、あなたのテクニツクで次々日本人に教へていただきたいのです。あなたのテクニツクが、ここしばらく日本に向つて沈黙してゐることを、私はすこし淋しく思つてゐます。その原因がフランスであなた自身の沈黙にあるのか、日本で堀口大学氏の怠りにあるのか、またはフランスか日本かの、例のヂヤアナリズムにあるのか私には分りませんけれど、あなたのテクニツクの沈黙を私は淋しく思つてゐます。散歩は脚でするものと決めてる日本人には、あなたのテクニツクが必要です。

 文学探究の歓びを、尾崎翠は私に教えてくれました。

                          (記録・西尾雄二)

※狩野啓子さんの講演の詳細は、『尾崎翠フォーラム・in・鳥取2003報告集』(11月末刊行予定)に収録します。