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◆トーク抄録:林あまり+浜野佐知◆
       映画『第七官界彷徨―尾崎翠を探して』を語る

●映画をつくるきっかけ●

(林)私の浜野監督との出会いは、インディペンデント映画祭(2000年5月)というのがありまして、それの審査員というと大げさですけど、何か去年観た日本映画のなかでとてもいいというものを一本推薦して下さい、それを映画祭で上映したいという話があったんですね。そのときに、『第七官界彷徨』を推薦して上映しましたら評判がよく、浜野監督に来ていただいて話をうかがって、非常に楽しくって素晴らしい映画祭でした。
 浜野監督は最初に尾崎翠と出会ったというか、映画を撮ろうと思われたのはどういうきっかけだったのですか。
(浜野)脚本家の山崎邦紀が尾崎翠を好きで、勧められて読んで驚いちゃったんですんね。当時は20世紀ですが、21世紀に読んでもまだ新しすぎるんじゃないか、とまず思った。昭和の初期に書かれていて、そこで表現された感性が、いま私たちが生きている時代とのギャップをまず越えちゃう。
 翠のことを調べていくうちに一番ひかかったのが、有名な「このまま死ぬのならむごいものだねえ」と大粒の涙をポロポロ流して死んで行く、(頭痛薬の)ミグレニン中毒で鳥取に連れて帰られてからは、生ける屍のような無為な人生を過ごして、薄幸のうちに死んで行ったまぼろしの作家である、という尾崎翠につけられた評伝です。
 (尾崎翠を取り上げたものに)林さんも話された渡辺えり子さんの演劇のほか、田中裕子さんが尾崎翠と小野町子の2役をやったNHKのテレビドラマがあった。これは30歳を目前にして、まだ結婚もしてない女性の不安と心の揺らぎみたいなテーマですが、何と尾崎翠の恋人であった高橋丈雄が憲兵の格好をして、椅子にそっくり返っている。こともあろうに、私の愛すべき尾崎翠がその憲兵の格好をした男の脚にすがりつくんですよ。
 まあ、腹が立ちましたね。こんなもん21世紀につないでたまるものかと思った。このまま死んで行くのはむごいものだねえ、という文芸評論家の稲垣眞美の評伝と、それを受けてつくった男の監督の映画がこういうものであったらば、尾崎は誰にも知られないということになってしまう。それが映画をつくろうと思ったきっかけでした。

●尾崎翠フォーラムの開催●

(林)映画化するとき、役者さんがいるわけですが、尾崎翠を誰にするかは、どうお考えになりましたか。
(浜野)田中裕子じゃあ困っちゃう。これはもう非常に難しかった。映画というのも政治的なものが背後にありますから、いろんなことを言う人がいるわけですよ。吉永小百合はどうだとか、浅丘ルリ子はどうだ、最後は岩下志麻でいいっじゃないか、とね。
 そしたら、岩波ホールでエレベーターから頭をくしゃくしゃにした一人のおばさんが出てきました。掃除のおばさんかと思いましたが、すれ違った瞬間に、「ああ、尾崎翠がいるなあ。私の尾崎翠はここにいる」と。そのままうしろを追っかけていって、着物の袖をつかまえて、「すみません、誰だか知りませんけど、私の映画に出て下さい」と言っちゃったんですね。これが白石加代子だった。
 (浜野)実は監督というのは孤独な仕事なんですよ。映画をつくったロケ場所に再度来るなんていうことはほとんどなくて、石をぶつけられても呼んでもらうなんてことはほとんどないですが、尾崎翠フォーラムが昨年開かれて、呼んでいただいて映画も再度かけていただいて、こんなにうれしいことはなかったです。
 私は1998年の10月、(鳥取県の)岩美町で一番最初に出来上がった映画を観ていただいて、ああやっと出来た、いろんな皆さんに迷惑をかけて、私もつらかった苦労もしたけど、出来てよかったという思いはありましたけども、でも去年、尾崎翠フォーラムが開催されて呼んでいただいた時の方が、「ああ、やっとここまで来たんだ」という感じがしました。
 これは映画だけではなくて、このフォーラムは決して終着点でない、これからまた尾崎翠は新しく生き直していくんだ、必ずもう一度尾崎翠が帰ってくるんだ、という風に思ったんですよ。それは私にとって、映画監督という仕事を選んでよかったな、映画をつくってよかったなっていう、去年のフォーラムが一番うれしかったことですねえ。

●林あまり賞の感激●

(浜野)そのほかもう一つは、この映画は日本国内で大体200回上映されていますが、海外でもドイツ、フランス、アメリカ、韓国、エジプトなどいろんな所で上映され、観て下さる受け手の感じが非常によくて、皆が尾崎翠の作品をほめてくれる。日本よりも外国の方が翠のユーモアを分かってくれる、笑ってくれる。
 そういう点ではしあわせな思いをしてますけど、実は賞というものに縁がなくてね。でも、2000年のインディペンデント映画祭で、林さんが「林あまり賞」というのを下さって、そのときパンフレットに書いて下さったのですが、たしかに原作がある映画というのは、ほとんどが評価されない時が多いですね。
 林さんが「実際こわかった、この映画を観るとき、自分の大事に大事にしてきた尾崎翠が一体どう描かれているのか、『第七官界彷徨』がどんな風な、もしかしたらすごい駄作なのかも知れない、そういうこわさを押して観たときに、ぐいぐい引き込まれて、素晴らしかった」という風に言っていただいて、初めて言葉にして映画を評価して下さった。
 その前、フォーラムの代表の土井さんが映画を観て、「これは映画ではあるけれども、日本文学史に残る事件である」と言って下さったのもうれしかったけど、この二つが本当に私はうれしかったですね。
(林)分かります。本当にそうだと思うんですよ。原作のあるものって、その映画自体がどんなに素晴らしくても、やっぱり自分のイメージがあるから、どっかでやっぱりギャップを感じたり、どっかなんか違和感があるっていうのが普通だと思うんですけども、そういう小さい自分の思いなんかはるかに越えて、これはもう本当に素晴らしいものだ。イメージがどうこうとかそういう問題じゃなくて、こういう風に尾崎翠の人間と作品を多角的にきちんととらえて、こういう風に素晴らしい映画が出来るんだという、そういう思いをしました。

(追記)トークの詳細については、尾崎翠フォーラム実行委員会発行『尾崎翠フォーラム・in・鳥取2002』(2002年11月刊行予定)をご参照下さい。