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過去のフォーラム 2001

Osaki Midori Forum in Tottori

 

◆4つの分科会の報告と討論より◆

 本フォーラムの核心とも言うべき分科会は、予め四つのテーマが設定されていましたが、こららのテーマが実は深く通底していたことは言うまでもありません。

『尾崎翠と映画』の分科会

『尾崎翠と映画』の分科会

◇第1分科会『尾崎翠と映画』

 パネラーは映画『第七官界彷徨―尾崎翠を探して』の監督の浜野佐知さん。この映画は近年の尾崎翠ブームの決定的な火付け役ばかりではなく、この映画それ自体が様々な場面で数々の輝きを発するものとなったのでもあります。単なるブームの火付け役ではなく、この映画において尾崎翠そのものが独自の光を発した、と言った方がより適切なのかも知れません。この映画の効果は、それまでの薄幸な女性作家・翠のイメージを拭払したこと、鳥取という「地方」にもこのような優れた作家がいたと言うことを一般にも広く知らしめたこと、そして女性の生き方に深く関るエートスのようなものを翠の作品に発見したこと、など数々挙げることができるでしょう。しかしこれらの効果以上に核心的なことは、このような映画製作を惹起することとなった翠の諸作品の、未だ解明されざるデュナミス=潜在力ではないでしょうか。

 

第2分科会『尾崎翠のフェミニズム』より

◇ 第2分科会『尾崎翠とフェミニズム』

 パネラーは小倉千加子さん、塚本靖代さん、森澤夕子さん、馬場加奈永さんという多彩な顔ぶれです。フェミニズムという言葉を可能な限り拡大解釈して前段で触れた「女性の生き方に深く関るエートス」とすれば、翠の作品が様々なフェミニズム的な解釈に耐えうるものであることは当然といえば当然でしょう。分科会の直前に小倉千加子さんの講演が行なわれていたことは、特にこの分科会を活気づけた要因であるのかも知れません。また様々のカテゴリーが確固たる同一性を揺らがせている、というより広範に渉る状況(これをポストモダン的状況と呼んでよいのかどうかには疑問が残るが)が、このようなフェミニズム的言説を活発に繁殖させているのかもしれません。いずれにしろ古典的な性差意識では「女性の生き方に深く関るエートス」の探求は全く不可能であることは明々白々なことです。翠の作品は必ずしもフェミニズムの言説とはいえない、という指摘も傾聴に値しましましょう。多分、男性こそがこのような言説空間に一度は、足を踏み入れることこそが求められているのかも知れません。

 

『尾崎翠と感覚世界』の分科会

◇ 第3分科会『尾崎翠と感覚世界』

 パネラーは第2日目に同じテーマで講演の加藤幸子さん。翠の表現の感覚的な鋭敏さについては既に定評のあるところです。詩歌・美術・音楽は無論、その他のあらゆる五感、それどころか「第七官」をすらさまようことのできる感性。また浜野さんの映画も、翠の感覚世界を独自の仕方で表現化しており、翠の諸作品の分析や解釈においてはこの感覚的要素は決して見逃してはならない、まさに第一の重要な要素と言うべきでしょう。また感覚の形成には生まれ育った風土・環境が大きな規定力を示しますが、それ以上に重要なものはその「練磨」です。翠は実に幅の広い読書家であり、それは古代ギリシア哲学にまで達している、といわれます。恵まれたセンスのみではなく、このような異質の世界との交渉の中でこそ感覚は(そして思考も)鍛えられるのだ、といってよいでしょう。確かに『第七官界彷徨』の一種形而上学的な雰囲気はヨーロッパ哲学との交渉なくしては不可能なことです。翠の深層における感覚(そして思考)――これは重要なテーマでありつづけるでしょう。

 

第4分科会『尾崎翠とユーモア』

◇ 第4分科会は『尾崎翠とユーモア』

 パネラーは前出の映画の脚本家山崎邦紀さんと、フォーラムにあわせて翠の全集未収録作品を発掘した石原深予さん、翠作品研究のある渡邊綾香さん。討論ではやはり翠作品研究のある狩野啓子さんも貴重な発言をされました。この分科会は最初こそ順調に滑り出し進行されるかに見えたましが、たちまちにして混沌の様相を示しました。多分それは、「ユーモアについてクソマジメに語っている」というパラドックスから生じたと思われます。ユーモアもまた、カテゴリッシュな同一性の揺れを示すものだからです。この揺れ――時には破壊的な振動――によって、カテゴリー的な通常の意味からの離脱が生じます。この離脱は距離の生成であると同時に、越境としての超越(トランス)でもあります。むしろユーモアは「〜である」という措辞を即座に無効にしてしまうようなパラドクスであり、このようなパラドキシカルなトランスが「第七官」という地域への「届く」ことなのです。――という風に「〜である」という文は、ユーモアをテーマとするやたちまちに混沌に陥ります。しかしこの混沌を回避するのではなく、この混沌の中で混沌の襞を確かめることこそ、多分翠の作品を解釈する、その挙措なのです。

 

 以上、4つの分科会を概観しただけで、これらの分科会――というより4つの穴――が通底していることが見て取れます。この、通底してしまうということにこそ、多面体としての翠の作品の、そして多分「人間」の謎が秘められているのに違いありません。

 なお、石原深予さん(大阪大学大学院文学研究科国文学専攻博士前期過程終了)は、これまで埋もれていた翠の新資料を発掘し、今回の尾崎翠フォーラムを機に岩美町の尾崎翠資料館に一部展示するとともに、第4分科会「尾崎翠とユーモア」で研究成果の一端を発表されました。山崎邦紀さんの紹介文より新資料のリストを挙げておきます。

石原深予さん発掘の新資料について

◆ 初期の投稿作品(17歳)・ 『女子文壇』1914(大正3)年3月号=短文「冬のよ」、和歌2首。・ 『女子文壇』同年8月号=紀行文「海と小さい家と」、和歌4首、詩「こだち の中」、「赤い花」について書いた短文。
◆ 自然主義メッタ斬り(30歳)・ 『若草』1927(昭和2)年9月号=批評「現文壇の中心勢力について」。
◆ サイボーグを愛する翠(33歳)・ 『詩神』1930(昭和5)年1月号=男性論「影の男性への追慕」。
◆ 対位法への着目(33歳)・ 『愛国婦人』1930(昭和5)年7月号=「母のための知識・西洋音楽の聴 き方」。
◆ 素顔の翠(34歳)・ 『文学党員』1931(昭和6)年4月号=樺山千代の交友記  なお、以上の新資料の内容や特徴については、山崎邦紀さんが開設した以下のホー ムページで紹介されています(本ホームページのリンク集参照)。      
http://www.7th−sense.gr.jp/